前編:「キャリアの可能性を広げる複業体験を多くの人に」という思いから複業研究家へ

2020.2.27 Interview

株式会社HARES 代表取締役 西村 創一朗 氏
1988年生まれ、東京都在住。株式会社HARES 代表取締役、複業研究家、HRコンサルタント、NPO法人ファザーリングジャパン理事。
2011年に首都大学東京法学系を卒業後、同年4月に新卒で株式会社リクルートキャリアに入社。法人営業、新規事業企画、人事採用を歴任し、社内MVPを多数受賞。本業のかたわら、複業支援のための事業をスタートし、2015年に株式会社HARESを創業。パラレルプレナー(兼業起業家)として仕事、子育て、社外活動などに精力的に従事。第三子となる長女の誕生を機に「通勤をなくす」ことを決め、2016年末にリクルートキャリアを退職し、2017年1月に独立。家族と過ごす時間を倍増させながら、複業研究家として、働き方改革の専門家として個人・企業・政府向けにコンサルティングを行なう。在学中の2009年より、NPO法人ファザーリング・ジャパンに参画し、最年少理事を務める。講演・セミナー実績多数。2018年に初の著書『複業の教科書』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を刊行。プライベートでは、同い年でHARES役員の妻、小5の長男、小2の次男、3歳の長女との5人暮らし。
※役職は、インタビュー実施当時(2019年12月)のものです。
◆株式会社HARES(ヘアーズ)◆
2015年6月30日設立。「二兎を追って二兎を得られる世の中を創る」をビジョンに掲げ、「副業禁止規定をなくす(本業・複業の二兎)」「男性の育休取得率の向上(仕事と子育ての二兎)」「ヘアーズワーク(時間と場所に縛られず、二兎を追える働き方)の創出(仕事と家庭の二兎)」という3つのミッションに取り組む。主な事業は、企業向けの副業推奨制度の導入・促進コンサルティング、副業に関する講演・執筆活動、HARES.JPでの情報発信、複業家支援のためのオンラインコミュニティ「HARES COMMUNITY」の運営。
現在の日本社会では働き方改革推進の流れを受けて、副業・兼業解禁の気運が高まっています。2019年には、みずほフィナンシャルグループ、三菱地所、カゴメなど、数々の大手企業が相次いで副業解禁を発表したのも記憶に新しいところです。こうした流れを促進するべく活動を続けているのが、複業研究家の西村創一朗さんです。
※2019年に副業解禁を公表した大手企業まとめ:https://comemo.nikkei.com/n/n528a1eb2fc46
ご自身が起業した株式会社HARES(ヘアーズ)の代表取締役・複業研究家として、HRコンサルタントとして、NPO法人ファザーリングジャパン理事として、そして3児の父として、さまざまな顔をもつ西村さんに、これまでの道のりや複業を始めた経緯、現在携わっていらっしゃる複業の啓蒙活動などについて、お話をうかがいました。
大学入学、学生パパ、キャリアの壁・・・

現在「複業研究家」として活躍されている西村さんですが、現在に至るまでの道のりを教えていただけますか。
西村さん(以下、敬称略):僕は、2007年4月に首都大学東京の法学部に入学しました。公務員になるために、行政学を学ぼうと考えたのです。でも、1年生の段階で「僕には公務員は向いていないのではないか」と思うようになりました。
そして1年生の夏休み、高校生の頃からお付き合いしていた恋人との間に子どもを授かりました。10月に学生結婚して、翌年に長男が生まれ、僕は19歳で学生パパとなりました。NPO法人ファザーリング・ジャパンへの参画は、このときの経験がきっかけとなっています。
2011年に大学を卒業し、4月に株式会社リクルートキャリア(当時は株式会社リクルートエージェント。後に社名変更)に入社されましたね。
西村:リクルートキャリアに入社したのは、「新規事業をつくる仕事がしたい」という思いがあってのこと。ですが、新人がいきなり事業開発部門に配属されるわけもありません。当時リクルートエージェントの平均的なキャリアパスは「営業からスタート」で、僕もご多分に漏れず営業に配属されました。まずは営業をがんばって、いずれは事業開発のポジションへ異動できればと、そう考えていました。
しかし実際働いてみると、配属された営業の世界と、希望していた事業開発のポジションは、全然違う世界であることがわかってきました。営業に配属された人間に存在する“はしご”は、営業リーダー、営業マネージャー、営業部長……といった営業としてのキャリアパスであって、営業から事業開発や企画部門への異動は容易ではないという現実を、入社1~2年目にして思い知らされたのです。
それなら僕は、もう転職しようと思いました。やっぱり事業をつくる仕事がしたかったから。入社2年目の後半に転職活動して、あるベンチャー企業から事業開発のポジションで内定をいただき、あとはもう家族の了承を得るだけというところまで進んでいました。
ところがここで、妻の大反対にあいました。いわゆる「嫁ブロック」という状態です。妻はいろいろな意見や感情をぶつけてきましたが、そのなかで受けた「あなたは何のためにリクルートに入ったの? リクルートでやりたかったことをやりきったの?」という問いかけはかなり本質を突いたものであり、僕に強く刺さった。
「確かに、リクルートでやりたかったことをやりきらずに辞めてしまうのは逃げだな」--。そう思い直して転職の内定を辞退し、リクルートキャリアで仕事を続けることに決めました。妻は長年にわたって陰日向なく僕を助けてくれていますが、このときもそう。「嫁ブロック」は、今となってはありがたい「嫁アシスト」であったわけです。
「ガリガリ君」1本すら買えなかった複業のスタート

複業に興味をもちはじめたのはいつ頃からですか。
西村:2013年5月です。僕は「思い立ったが吉日タイプ」で、複業についても興味をもちはじめたタイミングと実際に始めたのがほぼ一緒。リクルートキャリア入社3年目であった2013年のゴールデンウィークに思い立って始めたのが、僕の複業のスタートです。とはいえ、当時は「複業」という概念すらもっておらず、名前のない活動でした。
複業を始めた決定的なきっかけは?
西村:多くの方が副業・複業を始めたいと考える理由として挙げるのは、「お金を稼ぎたい」という思いですが、僕の目的はキャリア形成、キャリアチェンジでした。リクルートキャリアを辞めずに自分がやりたいこと、つまり事業開発につながる仕事をするにはどうしたらいいかと考えたときに、「会社の外で、自分のプライベートの時間ですればいいんだ」と思いついたのです。
そこで始めたのが、自分のブログメディアを立ち上げて収益化するという活動。僕にとってはこれが、いわば「小さな事業開発」というわけです。ブログの開設もメディアの運営もまるで未経験でしたが、ゴールデンウィークの休みに子どもがわあわあ言っている横でレンタルサーバーを借り、独自ドメインを取得して、WordPressでブログメディア「NOW OR NEVER」を開設しました。
ブログメディアをどのように運営していったか、教えてください。
西村:僕は興味・関心の幅が広いのと、会社ではインターネット業界の企業の採用支援部門に在籍しており、さまざまなクライアント企業を担当していた関係でとにかくインターネットが大好きだったので、ブログメディアではそれらを活かして、大きく2つのコンテンツの柱を設けました。
1つの柱は、次々とリリースされる新しいWEBサービスやアプリのなかで「おもろいな」と思ったものをピックアップして紹介するコンテンツ。もう1つの柱は、そうしたサービスやアプリをリリースするベンチャー企業、スタートアップ企業の経営者を取材した起業家インタビューのような記事です。
ベンチャー企業やスタートアップ企業の経営者にとって、自社の出したサービスを取り上げてレビューして拡散してくれるWEBサイトの存在は大歓迎でしたから、取材依頼にも快く応じていただけました。ありがたいことにコンテンツもたくさん読んでいただけて、立ち上げて2~3か月くらいで月間10万PV、20万PVぐらいに伸びました。
収益はというと、初月のGoogleアドセンスの売り上げが62円。「ガリガリ君」すら買えない金額です。この数字はいまだにスクリーンショットで保存しています。でも2か月目には360円ぐらいになり、「ハーゲンダッツ」が買える金額になり、さらに3ヶ月目にはついに3万円を超えたのです。これをとても喜んだ記憶があります。
その立ち上がり方には勢いがありますね。
西村:それともうひとつ、このブログメディアの活動、複業がきっかけとなって得たものがありました。念願叶って、リクルートキャリアで新規事業開発部門に異動できたのです。入社4年目、2014年4月のことでした。
複業のおかげで本業の目標が実現した成功体験

ついに目的を叶えることができたのですね。どのようにして実現に至ったか、うかがえますか。
西村:僕の活動が社内でも広まると、「営業部門に西村という、ちょっと“クレイジー”なやつがいるぞ」と言われるようになりました。すると新規事業開発部門の担当役員の方が「いろいろおもしろいことをやっているな」と目に留めてくださり、ランチやご飯をちょくちょくご一緒させていただくようになったのです。
そうしていろいろお話しするなかで、「来年の4月、新規事業開発に特化した部門を新しく立ち上げるから、そこに来ないか」と声をかけていただき、異動が実現したというわけです。
もともとやりたかったけどできなかった事業開発の仕事に、とうとうチャレンジできるようになった。これは、僕が複業をしていなかったら実現しなかったことで、いわば複業のおかげでキャリアチェンジできたのです。この体験は、僕にとっては非常に大きな原体験になっています。
西村さんが複業で得たものはとても大きかったのですね。そうして2015年6月には、リクルートキャリアに在籍しながら起業(会社設立)されました。それはどうして?
西村:僕がこの成功体験を獲得するに至ったのは…さかのぼれば、複業活動をすることができたのは、僕がたまたまリクルートキャリアという「複業OK」の会社で働いていたからです。ところが世の中を見渡してみると、当時は9割以上の会社が副業・複業を禁止していました。そうした会社に勤めている方は、複業を通じてキャリア選択をすることは叶いません。これは、非常に大きな社会損失なのではないかと考えるようになりました。
転職でもない、独立でもない、第3の選択肢として「複業」という武器を手にすることができれば、働く方々のキャリア選択の幅はもっともっと広がるのではないだろうか。ならば今度は、自分が複業をするだけではなく、複業という選択肢を世の中に増やす活動をしよう――。
そう決めて、「二兎を追って二兎を得られる世の中を創る」というビジョンのもと、株式会社HARES(ヘアーズ)を立ち上げました。リクルートキャリアに入社して5年目、自分で複業を始めて3年目の2015年6月30日、27歳の誕生日でした。
リクルートキャリアでの仕事、HARESの仕事、ブログメディアの運営、子育て・・・精力的な活動ぶりがうかがえるようです。まさしくパラレルキャリアの実践を体現していらしたのですね。
西村:「パラレルキャリア」というのはピーター・ドラッカーが提唱した考え方で、「本業を持ちながら第二の活動をすること」とされています。パラレルというのは「平行」「並列」を意味する言葉ですから、パラレルキャリアというと複数の仕事・活動を平行するというイメージですよね。確かに、複業をパラレルキャリアと結びつけて語られる場面は多いですし、僕自身が起業してからの一時期、「パラレルプレナー」(兼業起業家)として活動していました。
けれど僕は、せっかく複数の活動をするなら「平行」ではなく「交わる」「絡み合う」ように活動するのがいいのではないかと思うのです。そうすることで、活動の結果が足し算ではなくかけ算となり、相乗効果が生まれるのではないかと。僕のリクルートキャリアにおける成功体験も、まさしくスパイラル効果の賜物です。その意味で、僕は「スパイラルキャリア」を志向したいと考えています。
「複業ができる個人」を増やしていきたい

「複業研究家」として、現在はどのような啓蒙活動をなさっているのですか?
西村:大きな柱としては2つあって、1つは複業OKの会社を増やす活動、複業解禁を促進するための企業向けの活動です。
僕は会社設立当時の2015年に、「2020年までに複業禁止の会社をゼロにする」という目標を掲げていました。副業・複業禁止の会社が9割という時代に掲げた、ムーンショット型の無茶な目標でした。
そして今、副業・複業禁止の会社はゼロにこそなっていませんが、2019年に日本経済新聞社が実施したアンケートによると、副業を認めている企業の割合は49.6%にのぼっています。このアンケートは大手企業121社を対象に行なったものであり、回答する企業によって傾向は異なるとは思いますが、複業解禁企業がマジョリティになりつつある時流であることは確か。この時流を、僕は不可逆のものであるととらえています。
さらに、企業が自社社員の副業・複業を認めるだけではなく、副業・複業に従事する他社人材を受け入れはじめたというのも大きなポイントです。2020年代はこの流れの延長線上で「複業前提社会」に変わっていくでしょう。この流れを後押しすべく、僕としては今後も副業・複業解禁を促進する活動を継続します。
※複業前提社会の到来:https://comemo.nikkei.com/n/n91cd49279906
もう1つの活動の柱は?
西村:複業したいと考える個人の方向けに、複業をレクチャー・アドバイスする活動です。2018年には『複業の教科書』という本を出版しました。これも“複業の入門書”のようなかたちで多くの方のお手に取っていただいています。
複業を始めたいとは思うもののノウハウがない、始め方がわからないという個人の方は多いと感じます。そこへ西村さんのように教えてくださる存在があれば、多くの方が複業を始めやすくなるでしょうね。
西村:おっしゃる通り、「複業に興味があるけど何をすればいいかわからない」「自分には複業できるようなスキルがない」と考えている方は非常に多いです。
先に述べたように、現在は企業が副業・複業を解禁する流れが加速しているにもかかわらず、実際に複業を始めるビジネスパーソンは決して多くありません。その背景には、複業の“はじめの一歩”を踏み出す心理的なハードルの高さがあるとみています。周りに複業をしている人もいないし、方法もわからないし、ちょっと様子見してしまうといった傾向は、特に大手企業で働く方に見受けられます。
少し前までは、「副業・複業をしたい」と考える個人が多かったのに対して、副業・複業を禁止している企業が圧倒的に多いという不均衡がありました。それが企業の意識の高まりによって変わってきているというのに、今度は個人の意識がビハインドするといった具合で、企業と個人にシーソーゲームが起こっています。この状況を変えるためには、個人に対するエンパワーメントをより強めていきたい。2020年以降は、複業ができる個人を増やす活動にも一層注力していくつもりです。
<後編:「複業前提社会」を迎える日本社会には100人100通りの複業がある>
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