
「人的資本開示の項目が多すぎて、どこまでが義務なのか分からない」「2026年の改正で何が変わり、次の有価証券報告書で何をそろえるべきか整理できていない」。このように悩む人事や経営企画の担当者は少なくありません。
人的資本開示の項目は、法令で記載が義務づけられたもの、別の法律で公表が求められるもの、国のガイドラインが参考として示すもの、国際規格が定めるもの、と出どころが複数あります。そのため、全体を一度に把握しにくいのが実情です。
本記事では、有価証券報告書で義務となる項目を2026年の改正による追加分も含めて一覧で示したうえで、人的資本可視化指針の7分野19項目、女性活躍推進法などの他法令や国際基準の項目までを整理します。さらに、企業区分ごとに優先すべき項目、項目を選ぶ手順、つまずきやすい失敗要因と対策、参考になる開示事例も解説します。
項目を「義務」「他法令」「任意」「国際基準」の4つの枠組みに分けて捉えると、自社が今期そろえるべきものと、来期以降に広げるものを判断しやすくなります。社内で説明する際の整理にも活用してください。
人的資本開示とは|定義と開示が求められるようになった経緯
人的資本開示は、2023年に有価証券報告書での記載が義務になり、2026年に記載事項がさらに見直されました。項目の一覧に入る前に、この章で定義と、ルールが変わってきた流れを押さえます。
人的資本開示の定義
人的資本開示とは、企業が従業員の知識・スキル・経験といった「人材の価値」に関する方針や取り組み、指標を、投資家などのステークホルダー(企業と利害関係を持つ人や組織)に向けて公表することです。
背景にあるのは、人材を「コスト」ではなく「投資によって価値が高まる資本」として捉える考え方です。経済産業省の人材版伊藤レポートでは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出す経営を「人的資本経営」と位置づけています。
開示の場は、大きく次の2つに分かれます。
- 法定開示:法律で作成が義務づけられた書類での開示。代表例は、上場企業などが毎年提出する有価証券報告書(企業の事業や財務の状況をまとめた法定の報告書。以下、有報)
- 任意開示:統合報告書・人的資本レポート・自社Webサイトなど、企業が自主的に行う開示
この「法定」と「任意」の区別が、次章以降で項目を整理する際の土台になります。
出典:
経済産業省「人的資本経営 ~人材の価値を最大限に引き出す~」
経済産業省「人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書(人材版伊藤レポート2.0)」
内閣官房「人的資本可視化指針」(2022年)
人的資本開示の義務化から2026年改正までの流れ
人的資本開示のルールは、2020年ごろから段階的に整備されてきました。主な流れは次のとおりです。
- 2020年9月:経済産業省が「人材版伊藤レポート」を公表し、人的資本経営の考え方を提示
- 2022年5月:同省が「人材版伊藤レポート2.0」を公表し、実践のポイントを具体化
- 2022年8月:内閣官房が「人的資本可視化指針」を公表し、開示事項の例として7分野19項目を提示
- 2023年1月:金融庁が開示府令(有報に何を書くかを定めた内閣府令)を改正。2023年3月31日以後に終了する事業年度の有報から、人的資本を含むサステナビリティ情報の記載欄が新設された
- 2026年2月:開示府令が再び改正され、2026年3月31日以後に終了する事業年度の有報から、人材戦略や給与に関する記載が追加された
- 2026年3月:人的資本可視化指針が改訂され、経営戦略と人材戦略の連動を重視する内容に見直された

「2023年の義務化」の情報だけで準備を進めると、2026年改正で追加された項目が漏れる可能性があります。最新の改正内容を前提に確認してください。
出典:
金融庁「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正(2023年1月31日)
金融庁「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正(2026年2月20日)
内閣官房「人的資本可視化指針(改訂版)」の公表について(2026年3月23日)
金融庁「人的資本可視化指針(改訂版)」の公表について
人的資本開示の項目一覧|有価証券報告書の義務項目と2026年改正の追加分
人的資本開示で法的な義務となる項目は、有報を提出する企業(上場企業など)が対象です。主な記載欄は「サステナビリティに関する考え方及び取組」と「従業員の状況」の2つで、2023年の改正で前者が新設され、2026年の改正で後者を中心に項目が加わりました。
以下では、記載欄ごとに求められる項目を、導入された時期・記載の単位(連結か提出会社か)・適用時期とあわせて解説します。全体像は章末の表①で確認できます。
サステナビリティに関する考え方及び取組の記載欄で求められる項目
人的資本については、方針と指標・目標の記載がすべての有報提出会社に求められます。2023年の改正で新設されたこの記載欄で、次の項目を記載します。
- 人材の多様性の確保を含む人材育成の方針
- 社内環境整備の方針(働きやすい職場づくりなどの方針)
- 上記の方針に関する指標の内容と、その目標・実績
記載欄全体は、「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標及び目標」の4つの要素で構成されています。ガバナンスとリスク管理はすべての企業が記載し、戦略と指標及び目標は重要性に応じて記載する仕組みです。そのうえで、人材育成の方針と社内環境整備の方針は「戦略」に、それらに関する指標は「指標及び目標」に、重要性にかかわらず記載します。
この記載欄では、数値を並べるだけでは不十分です。方針 → 指標 → 目標 → 実績のつながりを示すことが記載の前提になります。2026年改正で求められるようになった人材戦略の記載(後述の「従業員の状況等」の項目)とも内容がつながるため、両方の記載に矛盾が出ないよう整理しておく必要があります。
出典:
金融庁「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正(2023年1月31日)
金融庁「サステナビリティ情報の開示」
従業員の状況等の記載欄で求められる項目
「従業員の状況」は以前からある記載欄ですが、2023年と2026年の改正で項目が追加されました。2026年改正の追加分は、この記載欄を中心とした見直しです。
従来からの項目
- 従業員数(連結会社と提出会社のそれぞれ)
- 平均年齢、平均勤続年数、平均年間給与(提出会社)
2023年改正で追加された項目(多様性に関する3指標)
- 女性管理職比率
- 男性の育児休業取得率
- 男女間賃金差異(男性の賃金に対する女性の賃金の割合。金融庁の資料では「男女間賃金格差」とも表記)
この3指標は、提出会社またはその連結子会社が、女性活躍推進法・育児介護休業法などに基づいてこれらの指標を公表している場合に、有報にも記載する仕組みです。後述のとおり、女性活躍推進法では常時雇用する労働者が101人以上の企業に男女間賃金差異と女性管理職比率の公表が義務づけられています。そのため、一定規模以上の上場企業の多くは、有報への記載対象になると考えられます。連結子会社が公表している場合も対象になるため、子会社ごとの公表状況も確認してください。
2026年改正で追加された項目
- 連結ベースの企業戦略と関連付けた人材戦略:どの事業で、どのような人材が、どれだけ必要かを、経営戦略と結びつけて説明する記載
- 従業員給与等の決定方針:給与の水準や改定についての会社の考え方を示す記載(提出会社の方針に限った記載も可能)
- 平均年間給与の対前年増減率:提出会社の平均年間給与が、前の事業年度と比べてどれだけ増減したかの記載
あわせて、「従業員の状況」の記載位置が「第1 企業の概況」から「第4 提出会社の状況」へ移りました。また、給与等の決定方針を提出会社の方針に限って記載する場合、主に子会社の経営管理を行う持株会社などでは、最も従業員の多い子会社についての情報もあわせて必要とされています。記載の細かな要件は、金融庁が公表している改正内容(新旧対照表)で確認してください。
適用時期
2026年改正は、2026年3月31日以後に終了する事業年度の有報から適用されています。
- 3月決算の企業:2026年3月期の有報から適用済み。2027年3月期は2期目となり、前年との比較や施策の進み具合の説明が問われる段階
- 12月決算の企業:2026年12月期の有報が初回の適用

給与の決定方針は、人事制度の考え方を言葉にする作業です。人事部だけでなく、経営層とすり合わせる時間を見込んでおくと安心です。
| 記載欄 | 項目 | 導入時期 | 記載単位・対象 |
|---|---|---|---|
| サステナビリティに関する考え方及び取組 | 人材育成の方針(人材の多様性の確保を含む) | 2023年改正 | 記載上の注意に従う |
| サステナビリティに関する考え方及び取組 | 社内環境整備の方針 | 2023年改正 | 記載上の注意に従う |
| サステナビリティに関する考え方及び取組 | 上記方針に関する指標の内容・目標・実績 | 2023年改正 | 記載上の注意に従う |
| 従業員の状況等 | 従業員数 | 従来から | 連結会社・提出会社 |
| 従業員の状況等 | 平均年齢・平均勤続年数・平均年間給与 | 従来から | 提出会社 |
| 従業員の状況等 | 女性管理職比率・男性の育児休業取得率・男女間賃金差異 | 2023年改正 | 法令に基づき公表している提出会社・連結子会社 |
| 従業員の状況等 | 企業戦略と関連付けた人材戦略 | 2026年改正 | 連結ベース |
| 従業員の状況等 | 従業員給与等の決定方針 | 2026年改正 | 提出会社に限った記載も可 |
| 従業員の状況等 | 平均年間給与の対前年増減率 | 2026年改正 | 提出会社 |
出典:
金融庁「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正(2023年1月31日)
金融庁「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正(2026年2月20日)
金融庁 2026年改正 関連資料
人的資本開示の任意項目|人的資本可視化指針の7分野19項目
人的資本開示の項目として最もよく知られているのが、内閣官房の人的資本可視化指針(2022年の初版)が示した7分野19項目です。ただし、19項目は法令上の義務ではなく、任意開示を検討する際の例示です。この章では、一覧とその位置づけ、2026年改訂での考え方の変化を解説します。
7分野19項目の一覧
人的資本可視化指針の初版では、開示事項の例として、次の7分野に計19項目が整理されています。
- 人材育成:リーダーシップ、育成、スキル/経験
- エンゲージメント:エンゲージメント
- 流動性:採用、維持、サクセッション
- ダイバーシティ:ダイバーシティ、非差別、育児休業
- 健康・安全:精神的健康、身体的健康、安全
- 労働慣行:労働慣行、児童労働/強制労働、賃金の公正性、福利厚生、組合との関係
- コンプライアンス・倫理:コンプライアンス・倫理
分野ごとの意味と項目は、表②にまとめています。たとえば「流動性」は採用・離職・後継者育成の状況を、「エンゲージメント」は従業員が仕事や会社にどれだけ前向きに関わっているかを示す分野です。サクセッション(後継者計画)のように、なじみの薄い言葉も含まれます。
| 分野 | 項目 | 分野の意味 |
|---|---|---|
| 人材育成 | リーダーシップ、育成、スキル/経験 | 人材の能力を高める取り組み |
| エンゲージメント | エンゲージメント | 従業員の仕事・会社への前向きな関わり |
| 流動性 | 採用、維持、サクセッション | 人材の確保・定着・後継者育成 |
| ダイバーシティ | ダイバーシティ、非差別、育児休業 | 多様な人材の活躍と公平な扱い |
| 健康・安全 | 精神的健康、身体的健康、安全 | 従業員の心身の健康と職場の安全 |
| 労働慣行 | 労働慣行、児童労働/強制労働、賃金の公正性、福利厚生、組合との関係 | 公正な労働条件と労使関係 |
| コンプライアンス・倫理 | コンプライアンス・倫理 | 法令遵守と倫理的な行動 |
指針は、開示事項に「独自性」と「比較可能性」の2つの観点があると整理しています。自社の戦略や強みを示す独自の指標と、他社と比べやすい共通の指標を組み合わせることが前提です。
出典:
内閣官房「人的資本可視化指針」(2022年)
内閣官房「人的資本可視化指針」の公表について
19項目の位置づけと2026年改訂での変化
結論として、7分野19項目をすべて開示する必要はありません。19項目は法令上の義務ではなく、任意開示で何を測るかを考える際の参考例です。
2026年3月に公表された人的資本可視化指針の改訂版は、経営戦略と人材戦略を連動させ、それを踏まえた指標を開示することを重視しています。投資家との対話に役立つ開示であることも求めています。
このため、19項目を上から順に埋めていくより、自社の経営戦略から逆算して必要な項目を選ぶ使い方が適していると考えられます。
改訂版では、開示事例や開示基準・開示事項例を整理した付録が順次公表されています。項目の具体的な扱いを確認する際は、内閣官房の非財務情報可視化研究会のページで最新の付録をあわせて確認してください。
出典:
内閣官房「人的資本可視化指針(改訂版)」の公表について(2026年3月23日)
内閣官房ほか「人的資本可視化指針(改訂版)」
内閣官房「非財務情報可視化研究会」
人的資本開示に関わる他の法令・国際基準の項目
人的資本に関する項目は、有報以外の制度や基準でも求められています。特に女性活躍推進法と育児介護休業法は、上場・非上場を問わず一定規模以上の企業に公表を義務づけているため、自社が対象かどうかの確認が欠かせません。以下では、他法令の公表義務と、国際基準・SSBJ基準の位置づけを整理します。
女性活躍推進法・育児介護休業法で公表が義務となる項目
上場・非上場を問わず、一定規模以上の企業には、多様性に関する項目の公表義務があります。
女性活躍推進法(2026年4月施行の改正)
- 男女間賃金差異と女性管理職比率の公表が、常時雇用する労働者が101人以上の企業に義務化された
- 301人以上の企業は、この2指標に加えて2項目以上の公表が必要
- 101〜300人の企業は、この2指標に加えて1項目以上の公表が必要
育児介護休業法(2025年4月施行の改正)
- 男性の育児休業等の取得率の公表義務が、従業員300人超の企業に拡大された(300人以下の企業は対象外)
女性活躍推進法に基づく公表は、求職者が閲覧しやすい厚生労働省の「女性の活躍推進企業データベース」や自社サイトで行うことが推奨されています。有報への記載とは別に、公表先と公表時期を確認しておくと安心です。
これらの指標は、有報の多様性に関する3指標と重なります。有報側の記載要件はこの公表と連動しているため、人事データを一元管理しておけば、法令ごとの公表と有報の作成を同じデータで進められます。
出典:
厚生労働省「女性活躍推進法特集ページ」
厚生労働省 Webマガジン(2026年2月20日)
栃木労働局「女性活躍推進法の改正について」
厚生労働省「育児・介護休業法について」
ISO 30414とSSBJ基準の位置づけ
グローバルな投資家を意識する企業は、国際規格や今後の開示基準との関係も押さえておく必要があります。
ISO 30414は、国際標準化機構(ISO)が定めた、人的資本に関する報告のための国際規格です。2025年に改訂版(ISO 30414:2025)が発行されました。法令上の義務ではなく任意の規格ですが、国際的に通用する指標の枠組みとして参考にされています。
SSBJ基準は、サステナビリティ基準委員会(SSBJ)が2025年3月に公表した、日本のサステナビリティ開示基準です。2026年の府令改正により、東証プライム市場の上場企業のうち、平均時価総額3兆円以上の企業は2027年3月31日以後に終了する事業年度から、1兆円以上の企業は2028年3月31日以後に終了する事業年度から、有報での適用が求められます。
SSBJ基準は人的資本に特化した基準ではなく、サステナビリティ全般に関するリスクと機会の開示を求める枠組みです。ただし、人材に関するリスクや機会が自社にとって重要であれば、その開示も求められる可能性があります。大企業ほど、国際基準との整合を意識した項目設計が必要になると考えられます。
出典:
ISO「ISO 30414:2025」
サステナビリティ基準委員会「SSBJ基準」
サステナビリティ基準委員会「サステナビリティ開示基準の公表」(2025年3月5日)
金融庁「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正(2026年2月20日)
企業区分別に見る人的資本開示の優先項目
4つの枠組みは根拠も対象企業も異なるため、まず比較表で全体を押さえ、そのうえで企業区分ごとに今期そろえるべき項目と、次に広げる項目を整理します。
人的資本開示の義務項目・推奨項目・国際基準の違い
人的資本開示の項目は、拘束力の強さで見ると次のように分かれます。
- 義務:有報の義務項目、女性活躍推進法・育児介護休業法の公表項目
- 段階的に適用:SSBJ基準(一定規模以上のプライム上場企業)
- 任意:人的資本可視化指針の推奨項目、ISO 30414
根拠、対象企業、拘束力、主な項目、開示先の違いは表③で比較しています。上長や経営層に説明する際は、この表③をそのまま整理資料として使えます。
| 枠組み | 根拠 | 対象企業 | 拘束力 | 主な項目 | 開示先 |
|---|---|---|---|---|---|
| 有報の義務項目 | 開示府令(金融庁) | 有報提出会社 | 義務 | 人材育成方針・人材戦略・多様性3指標・給与関連 | 有価証券報告書 |
| 他法令の公表義務 | 女性活躍推進法・育児介護休業法 | 常時雇用101人以上(女活法)/300人超(育介法) | 義務(100人以下は一部努力義務) | 男女間賃金差異・女性管理職比率・男性育休取得率 | 厚労省データベース・自社サイトなど |
| 指針の推奨項目 | 人的資本可視化指針(内閣官房ほか) | 限定なし | 任意 | 7分野19項目(初版の例示) | 統合報告書・人的資本レポートなど |
| 国際基準 | ISO 30414/SSBJ基準 | ISO:限定なし/SSBJ:一定規模以上のプライム上場企業 | ISO:任意/SSBJ:段階的に適用 | 人的資本の指標群/サステナビリティ全般のリスク・機会 | 任意報告書/有価証券報告書 |
優先順位の考え方はシンプルです。まず義務の項目を確実に満たし、そのうえで戦略に必要な項目を指針や国際基準から選んで足す。この順番で進めると、記載漏れを防ぎつつ、自社らしい開示に広げられます。
出典:
金融庁「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正(2026年2月20日)
厚生労働省「女性活躍推進法特集ページ」
内閣官房「人的資本可視化指針」(2022年)
企業区分ごとに優先すべき項目
自社がどの区分に当てはまるかで、今期対応すべき範囲は変わります。
プライム上場の大企業(平均時価総額1兆円以上)
有報の義務項目に加えて、SSBJ基準の適用を見据えた開示体制の整備が必要です。経営戦略と人材戦略のつながりを示す独自の指標を、早めに固めておくことが求められます。女性活躍推進法・育児介護休業法に基づく公表(データベースや自社サイト)も、有報とは別に必要です。
その他の上場企業
2026年改正で追加された人材戦略・給与の決定方針・平均年間給与の増減率を含め、有報の義務項目への対応が最優先です。従業員規模に応じて、女性活躍推進法・育児介護休業法に基づく公表も別途必要です。そのうえで、人材戦略に直結する指標を2〜3つに絞って追加すると、指標の数を増やしすぎずに戦略とのつながりを示せます。
非上場で常時雇用する労働者が101人以上の企業
女性活躍推進法で求められる公表項目を確実に満たすことが先決です。300人超の企業は、育児介護休業法に基づく男性の育児休業等の取得率の公表も必要です。そのうえで、採用広報の観点から任意開示を検討する選択肢があります。
100人以下の企業
人的資本に関する法的な公表義務は限られており、女性活躍推進法では女性管理職比率の公表などが努力義務とされています。採用や定着に課題があれば、研修制度や離職率など、自社の強みを示せる項目から任意で開示を始める方法も考えられます。
出典:
金融庁「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正(2026年2月20日)
厚生労働省「女性活躍推進法特集ページ」
栃木労働局「女性活躍推進法の改正について」
人的資本開示の項目を選ぶ4つの手順
項目は「測れるものから並べる」のではなく、「経営戦略に何が必要か」から逆算して選ぶと、2026年改正で求められる人材戦略の記載にもそのまま使えます。ここでは4つの手順に分けて解説します。
手順1:経営戦略と人材戦略のつながりの整理
最初に、中期経営計画などの事業戦略から、必要な人材像・人数・スキルを洗い出します。そのうえで、現在の人材との差(ギャップ)を明らかにします。
人材版伊藤レポート2.0は、経営戦略と人材戦略の連動や、目指す姿と現状とのギャップを定量的に把握することを、人的資本経営の要素として挙げています。このギャップを埋める取り組みこそが、有報で記載する人材戦略の中身になります。
出典:
経済産業省「人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書(人材版伊藤レポート2.0)」
内閣官房「人的資本可視化指針(改訂版)」の公表について(2026年3月23日)
手順2:法定項目の確定とデータ収集の準備
次に、有報と他法令で義務となる項目を一覧にし、項目ごとに記載の単位(連結か提出会社か)と算出方法を確認します。
あわせて、給与・休業・研修・子会社の人事データなど、どの部門がどのデータを持っているかを棚卸しします。項目ごとに「根拠」「対象」「記載単位」「適用時期」を1行で整理した確認表をつくっておくと、上長への説明資料としてもそのまま使えます。部門ごとの定義のずれへの対処は、後述の失敗要因で解説します。
出典:
金融庁 2023年改正の解説資料
金融庁「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正(2026年2月20日)
手順3:戦略に結びつく独自指標の選定
手順1で明らかにしたギャップを測る指標を選びます。何を測るか迷ったときは、7分野19項目やISO 30414を「指標の候補リスト」として参照すると効率的です。
指標には、目標値と達成時期をセットで設定します。たとえば「デジタル人材を2028年度までに〇名に増やす」のように、戦略とのつながりが読み手に伝わる形にします。
出典:
内閣官房「人的資本可視化指針」(2022年)
ISO「ISO 30414:2025」
手順4:開示と改善のサイクル化
最初から完璧な開示を目指す必要はありません。開示できる範囲から始め、段階的に広げていく進め方が現実的です。
翌年以降は、実績値の推移と施策の効果を示し、投資家からの反応や社内の変化を踏まえて項目を見直します。開示を「毎年の報告」で終わらせず、人材戦略の改善につなげることが、改訂版の指針が重視する投資家との対話にも役立ちます。
人的資本開示の項目設定でつまずく失敗要因と対策
人的資本開示の項目設定では、次の4つの失敗がよく起こりがちです。ここでは失敗要因ごとに症状と対策をまとめ、最後に表④で一覧にします。
義務項目の対象範囲・記載単位の取り違え
症状:多様性に関する3指標の対象(法令に基づいて公表している会社のみ)や、連結と提出会社の区分、2026年改正の適用時期を誤解し、記載漏れや不要な記載が起こります。有報の記載に誤りがあると、訂正報告書の提出が必要になる場合があり、実務上の負担が大きい失敗です。
対策:金融庁の改正資料とパブリックコメントへの回答で要件を確認し、法務・経理と共有できる確認表をつくります。項目ごとに「根拠」「対象」「記載単位」「適用時期」を1行で整理しておくと、担当者が替わっても判断がぶれません。
出典:
金融庁「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正(2026年2月20日)
金融庁 2026年改正 関連資料
e-Gov法令検索「金融商品取引法」
19項目の網羅の目的化
症状:19項目を埋めること自体が目的になり、数値は多いのに「なぜその指標なのか」が説明されていない開示になります。投資家には、経営戦略とのつながりが見えない開示として受け取られる可能性があります。
対策:手順1の戦略の整理に立ち返り、指標を絞り込みます。そのうえで、目標・実績・施策をセットで示します(前述の改訂版指針の考え方)。
出典:
内閣官房「人的資本可視化指針(改訂版)」の公表について(2026年3月23日)
部門・子会社に分散した人事データ
症状:同じ「離職率」でも部門や子会社によって定義が異なり、数値の整合がとれません。決算期に集計が集中し、有報の作成スケジュールに間に合わなくなることもあります。
対策:指標ごとに「定義」「算出方法」「担当部門」「締め日」を決めた定義書をつくり、社内で共有します。そのうえで、人事システムでのデータ一元管理を段階的に進めると、毎年の集計負担を減らせると考えられます。
比較可能性と独自性の偏り
症状:独自の指標ばかりで他社と比べられない、あるいは定番の指標だけで自社の戦略が伝わらない、という偏りが起こります。
対策:他社と比較できる基本の指標と、戦略に結びつく独自の指標を組み合わせます。人的資本可視化指針も、独自性と比較可能性の両方を意識することを求めています。
| 失敗要因 | リスク | 対策 |
|---|---|---|
| 義務項目の対象範囲・記載単位の取り違え | 記載漏れ・不要な記載、訂正の負担 | 改正資料とパブコメ回答で要件を確認し、確認表を作成 |
| 19項目の網羅の目的化 | 戦略とのつながりが見えない開示になる | 戦略から逆算して指標を絞り、目標・実績・施策をセットで示す |
| 部門・子会社に分散した人事データ | 数値の不整合、作成スケジュールの遅れ | 指標の定義書を作成し、データの一元管理を進める |
| 比較可能性と独自性の偏り | 他社と比べられない/自社の戦略が伝わらない | 基本の指標と独自の指標を組み合わせる |
人的資本開示の項目の参考になる開示事例
他社の開示を参考にする際は、金融庁と内閣官房が公表している事例集から確認するのが効率的です。
金融庁の「記述情報の開示の好事例集2025」(2026年3月公表)には、人的資本や従業員の状況に関する開示例が収録されています。経営戦略と人材戦略のつながりの示し方や、指標と目標の組み合わせ方を学ぶのに適しています。前年版の「好事例集2024」にも「人的資本、多様性」の好事例がまとめられています。
また、人的資本可視化指針の改訂版には、経営戦略と人材戦略の連動と、それを踏まえた指標の開示事例をまとめた付録①が用意されています。
個別企業では、三井物産が人的資本の取り組みを独立した「人的資本レポート」として公表しています。有報とは別に、統合報告書や人的資本レポートで詳しく説明する方法の参考になります。
出典:
金融庁「記述情報の開示の好事例集2025」
金融庁「記述情報の開示の好事例集2024」
内閣官房「非財務情報可視化研究会」
三井物産「人的資本レポート」
人的資本開示の項目設計は「フリーコンサルタント.jp」へご相談ください
人的資本開示の項目は、義務の範囲を押さえるだけでなく、経営戦略と人材戦略をつなげて説明することが求められるようになりました。「義務項目は埋めたが、人材戦略をどう書けばよいか分からない」「データが部門や子会社に散らばり、集計の仕組みから見直す必要がある」と悩む企業も少なくありません。
項目設計を進めるには、次のような論点を整理する必要があります。
- 経営戦略から逆算した人材戦略と、それを測る指標の設計
- 人事・経理・経営企画・IR・子会社をまたぐデータ収集の体制づくり
- データの定義をそろえ、毎年集計できる仕組みの整備
こうした取り組みは複数の部門にまたがるため、社内の人員だけで推進役を担うのが難しい場合があります。
フリーコンサルタント.jpでは、事業会社やコンサルティングファームで経験を積んだプロ人材が、必要な期間だけ参画します。上流の戦略整理から、部門横断の体制づくり、データ活用の仕組みの構築、社内へのノウハウの移転まで、実務に伴走して支援します。人的資本開示に向けた体制づくりやデータ整備を検討している場合は、お気軽にご相談ください。
フリーコンサルタント.jpによる組織立ち上げ・データ活用の支援事例
人的資本開示に直接かかわる事例ではありませんが、部門横断の組織づくりと、属人化したデータの整理・活用を支援した事例を紹介します。開示に向けた体制づくりやデータ整備を進める際の参考にしてください。
事例①|大手通信キャリア企業:デジタル活用推進に向けたCoE組織の立ち上げ
業務効率化を目的に、デジタル活用を推進するCoE(Center of Excellence:複数部門の知見を集約する専門組織)の立ち上げを決めたものの、組織の立ち上げとデジタル技術の活用の両方を担える人材が社内に不足していた企業の事例です。
| 当時の課題 | ・デジタル領域の知見と組織立ち上げの経験を併せ持つ人材が社内に不足 ・業務効率化ツールの開発・運用体制をゼロから構築する必要があった |
|---|---|
| 実施したこと | ・CoE組織の立ち上げから全体設計・運用構築・実運用までを一気通貫で伴走支援 ・事業部門への課題ヒアリングをもとにツール開発の仕組みを構築し、プロパー社員が自走できる体制へ知見を移転 |
組織の立ち上げと運用の安定化により、立ち上げ前と比べて業務工数を約25%削減しました。プロパー社員が主体となって運用できる体制が整い、外部人材への依存から段階的に脱却しています。
事例②|大手飲食業界企業:属人化した業務データの整理と需要予測AIの構築
200店舗以上・400品目の発注業務を、店舗担当者の経験と勘に頼って行っていた企業の事例です。データサイエンティストなどのデータ活用人材が社内に不足し、データ活用の進め方が分からない状態でした。
| 当時の課題 | ・データサイエンティスト・データアナリストなど、データ活用の経験者が社内に不足 ・店舗情報やPOSデータ(販売時点の売上データ)をもとにした需要予測を、複数人が同じ精度で行うことが困難 ・業務が現場の勘に依存し、担当者の休暇や退職で業務が滞るリスクがあった |
|---|---|
| 実施したこと | ・店舗ごとの特徴を踏まえた変数を定義し、データを整理 ・PoC(概念実証:小規模に試して効果を確かめる取り組み)を経て、店舗ごとに高い精度で需要予測できるAIモデルを構築・運用 |
需要予測AIの活用で発注業務の多くを自動化し、作業時間を削減しました。店舗担当者が接客などに時間を割けるようになっています。
まとめ
人的資本開示の項目は、有報の義務項目、女性活躍推進法などの他法令の公表項目、人的資本可視化指針の推奨項目、ISO 30414やSSBJ基準などの国際的な枠組み、という4つに分けて整理できます。
最優先は、2026年改正で追加された人材戦略、従業員給与等の決定方針、平均年間給与の対前年増減率を含む、有報の義務項目を確実に満たすことです。7分野19項目はすべて開示する必要はなく、経営戦略から逆算して必要な項目を選ぶ使い方が適しています。
自社の企業区分を確認したうえで、義務 → 戦略に必要な任意項目の順に段階的に広げていくことが、記載漏れを防ぎつつ投資家に伝わる開示への近道です。









