「65歳までの雇用確保義務化」で考えるセカンドキャリアの築き方
2025.2.14 Interview

2025年3月末、「継続雇用制度の経過措置」が終了します。2025年4月以降、企業は65歳までの希望する従業員全員の雇用機会を確保しなければなりません。具体的には、「65歳まで定年年齢を引き上げる」「希望者全員を対象とする、65歳までの継続雇用制度を導入」「定年制の廃止」のいずれかを選択し、雇用確保措置をとる必要があります。60歳で定年退職し、そこから先は悠々自適な老後暮らし……は今は昔。定年後も「役立つ場」を求め続ける元官僚のセカンドキャリアの築き方をヒントに、60歳からの働き方について考えてみましょう。
「脱炭素」につながる官僚時代のキャリア

「働き始めた20代のころから、新しいことを学ぶのが好きなんですよ」と話す近藤浩さんは、農林水産省の総合職、いわゆるキャリア組だ。一般的にキャリア組は幹部候補として採用され、早い段階から管理職として政策の企画・立案、法律の制定・改正や適正な運用指導のほか国会対応などの業務を行う。省庁内のいろいろな部局への異動や、ほかの省庁への出向もあるのが特徴だ。近藤さんも国会議員とのやりとりを通して国会対応を行ったり、環境庁(現、環境省)や山形県庁に出向した経験をもつ。
「部署が変わるたびに、与えられる業務だけにとどまらずに深く掘り下げたい、追求したいという欲求が出てくるんですよ。本来はやらなくていいことなのですが、自分の性分なんでしょうね。環境庁で働いていたのは、ちょうど1990年代はじめ、環境基本法がつくられた頃のことです。水質保全局で簡単にいえば水をきれいにする取り組みをしていました。市街地の地下水が揮発性有機化合物で汚染されている問題も何年も検討されていましたが、日本を代表する環境法学者の委員の方々に考えを申し上げて懇談会報告書にまとめたことがあります。30代前半で若かったから、怖いもの知らずだったんですね。結果、私は法改正の検討を担い、水質汚濁防止法改正という形に結実させました。
水俣病問題にも関わりました。当時は最高裁判決で国の責任が認められる前。定期的に行われる被害者つまり原告の方々との面談では、国としての責任はないという杓子定規な回答しかできず心が痛みました。ほかの部署に行っても環境のことは追求していきたいと強く思ったのを覚えています」(近藤さん)
「農林水産×脱炭素」でできること
環境について追求していくという30代のころの思いは、現在のキャリアにつながっている。2年ほど前から働く「脱炭素推進機構」は、脱炭素社会推進、SDGs、食料生産対策を踏まえ、農林漁業経営者や地域事業者を支援する会社だ。ここで今、近藤さんが取り組んでいるプロジェクトのひとつが風力開発事業会社のコンサルティング。資源エネルギー庁が再生可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT制度)を開始してから12年が過ぎ、条件が良い多くの土地ではすでに風力発電が導入されている。次に開発余地があるのは森林だが、森林は土砂崩れなどの災害を防止したり、水源地となっていたりして農林水産省により保安林として指定されているところが多い。農林水産省の元官僚である近藤さんなら、保安林の指定や解除、保安林の制限などについて定められた保安林制度の知識をもとに、政策的な助言ができるというわけだ。
「ほかにも、漁港区域に洋上風力発電を設置する動きもあります。漁港では、漁獲量に影響を与えないように設置する必要がありますが、魚は微妙な音に反応して近づかなくなるということもあり得るんですね。ここでは、漁業協同組合等地域社会との調整や信頼関係の構築が大変重要になってきます。
また、食料生産とエネルギー生産を両立させるシステム、営農型太陽光発電では、設備を設置するのに必要な支柱を農地に立てるための農地転用許可が必要となります。ここでは、農地利用規制についての知識が必要になる。農林水産省で長年蓄積された知識に基づいて、アドバイスできることがたくさんあります。温室効果ガス対策については、森林整備やカーボンクレジット創出への期待も大きいです。」(近藤さん)
60代で敷かれたレールをはずれた理由

現在63歳の近藤さんは、60歳で国の研究機関である農林水産政策研究所に再雇用された。研究所は、希望すれば65歳まで勤めることができた。だが、慣れた環境で安定したセカンドライフを過ごせる研究所を1年で辞め、創業したての脱炭素推進機構への転職を決断した。そして、みらいワークスのプラットフォームを通じて、再生エネルギーのスタートアップでこれまでの経験を生かしてアドバイザーの仕事もしている。
「農林水産政策研究所では、ESG(環境・社会・ガバナンス)やカーボンクレジット、サスティナビリティ、有機農業、自伐林業などの調査、研究にあたっていました。農林水産事務次官を務めた経歴をもつ先輩から脱炭素推進機構の立ち上げにあたって声をかけられたのが、政策研究所の研究員になって半年ほど経過したころ。研究を始めたばかりでしたし、ゼロベースでこれから立ち上げる会社で先が見通せない、まったく新しいところに飛び込むことに少し躊躇する気持ちもあり、いったんはお断りしました。
ただ、これまで蓄積してきた経験や知識を世の中のために生かしたい、新しいことに挑戦したい、という気持ちはくすぶり続けていたんですよね。最初にお声がけいただいてから数カ月後、会社の枠組みと社長が決まった段階で、もう一度一緒にやらないかと誘われ、思い切って転職することにしました」(近藤さん)
セカンドキャリアで実現したい国際関係
敷かれたレールの上を歩み続けるほうがたやすいし、見通しがきいて安心できる。近藤さんがそのレールをはずれ、変化に柔軟に対応できている背景には「新しいことを学んで身につけることが好き」ということがあるようだ。
「農林水産省時代には、定年間近に、省の働き方改革が始まり、定型的な業務を自動化する技術、RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)など、次々と出てくる新しい技術やサービスも含めて、働き方改革についての外部講師による研修にも積極的に参加していました。そういった研修は20代、30代向けの研修が多いのですが、最近ではオンライン研修が多く、50代だった私も違和感なく参加できたんですよ。当時、約80人の部署の幹部でしたが、図らずも、翌年、その部署の働き方改革を推進する仕事も頂戴して、健康で働きやすい環境、テレワーク、多様性、介護・育児等のノウハウを手引きとしてきちんと整理、作成して、働き方改革の旗振りを実際に担う役割も与えられて良かったです。過去に遡ると30歳のときには、大学の第2外国語がロシア語だったので、アメリカのハーバード大学大学院に留学しロシア・東欧・中央アジア地域研究科(REECA)に所属して、ソ連外交を中心とした国際関係やロシア地域を学び、修士号(M.A.)を取得したこともあります。冷戦末期ソ連が崩壊する最中のことです。日本も含め若手外交官も学ぶ研究科。キッシンジャー元国務長官も教え子だったアダム・ウラム教授の最後の学生の一人にもなりました。学んだことを生かしてこれからは国際関係に関わっていきたいと考えましたが、人事は自分では決められない。それでも、EPA交渉、WTO提訴、国際研究交流等国際業務に何度か携われたのは幸いでした。
これまでの経験や知見から助言したいことはあるけれど、公務員という枠組みのなかでの発言は決まり切ったことしか言えないというもどかしさを感じたこともあります。今後は多文化共生を視野に、社内で日本人と外国人とが摩擦がないように働ける労働環境をつくることも重要になってくるでしょう。異文化コミュニケーションの専門家などの力も頂いて、日本の社会風土や企業風土を包摂や多様性がより尊重されるものに変えていく仕組みをつくる支援にも興味があります。行政書士や全国通訳案内士も登録。農林水産、脱炭素など環境関係、国際関係、多文化共生など、これからのセカンドキャリアで、さまざまな人との出会いを通して実現したいことがまだまだたくさんあります」(近藤さん)
<関連サービス>
みらいワークス 官庁出身者マッチングサービス
https://mirai-works.co.jp/2ndcareer/
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