後編:“爆速経営”でヤフーのスマホシフトを牽引。LinkedIn日本代表に至るまでのバラエティ豊かな働き方とは

2018.7.2 Interview

LinkedIn 日本代表 カントリーマネージャー兼プロダクトヘッド 村上 臣(むらかみ しん) 氏
青山学院大学理工学部物理学科卒業。在学中に仲間とともにベンチャー企業・有限会社電脳隊を設立。モバイルインターネット黎明期において特に「WAP」の普及に尽力する。2000年8月、株式会社ピー・アイ・エムとヤフー株式会社の合併に伴い、ヤフー株式会社に入社。2006年6月ソフトバンク株式会社による買収に関連して、2006年6月ボーダフォン株式会社(のちソフトバンクモバイル株式会社、現ソフトバンク株式会社)出向。2008年4月モバイル事業部サービス開発室長。2011年ヤフー株式会社を円満退社し、モバイルベンチャーであるピド株式会社の取締役に就任。2012年4月ヤフー株式会社に入社、執行役員チーフ・モバイル・オフィサー(CMO)に就任してモバイル事業の企画戦略を担当。2017年11月LinkedIn日本代表(カントリーマネージャー兼プロダクトヘッド)に就任。パラレルワークとして、複数のスタートアップの戦略・技術顧問を務めている。
※役職は、インタビュー実施当時(2018年5月)のものです。
◆LinkedIn◆
2002年、リード・ホフマンをはじめとする共同創業者がアメリカ・カリフォルニア州で創業。2003年5月、世界最大のビジネス特化型SNS「LinkedIn(リンクトイン)」を正式リリース。LinkedInは世界各国で5億4600万人超のユーザーが利用しており、日本では200万人以上が登録している(2018年4月時点)。2016年12月、米・マイクロソフトが262億ドルで買収。現CEOはジェフ・ウィナーで、MS買収後も独立子会社として運営を続ける。「世界中のプロフェッショナルをつなぎ合わせ、それらの人に経済的機会を提供することを目指す」というビジョンを掲げ、「世界中のプロフェッショナルの仕事とキャリアを支援すること」をミッションに、事業を展開する。
2017年11月にLinkedInの日本のカントリーマネージャーに就任、日本におけるLinkedInの“再始動”にチャレンジしている村上臣氏。かつてヤフーのCMO(Chief Mobile Officer)として全社のモバイルシフトに大きく貢献し、その名をはせた人物です。そんな村上氏は、エンジニア出身のアントレプレナー(起業家)として、実にユニークなキャリアを歩んでこられました。さまざまな業界で第一線を渡り歩いてきた村上氏のキャリアには、エンジニア人材を擁する企業にとっても、エンジニアとして働くプロフェッショナルにとっても、一つのロールモデルであり、“みらいの働き方”の参考になる点が少なくありません。そんな村上氏の歩んできた道と、日本社会の働き方に対する思いなどを伺いました。
終業時間はきっちり守り、それぞれの生活や活動を大切にする

LinkedInは、外資系企業でありながら“ウェット”な社風というお話でしたが、「仕事は仕事、プライベートはプライベート。5時にはみんなきっちり帰る」という感じではないのでしょうか。
村上さん(以下、敬称略):退社時間が早いというのは、この会社も当てはまります。僕は、前職のヤフーでは夜の9時10時ぐらいまで仕事をしていましたが、今は5時6時で終わります。ほかのメンバーもみんなそうで、ミーティングを終えて夕方にフロアに戻るともう真っ暗ということもよくあるくらいです。
ワークライフバランスが重視される今、毎日その時間に終える働き方を実現できるのはすばらしいことだと思います。
村上:おかげで毎日3時間ぐらい時間が空くようになったので、個人のパラレルワークとして、今は6社のベンチャーのお手伝いをしています。手伝い方はさまざまですが、経営陣やCTOのメンタリング(人材育成)、経営計画などの戦略づくり、開発の組織づくりといったところを、顧問のような立場でサポートしています。
若いベンチャー企業にとっては、村上さんのキャリアやそこで得た知見は勉強になることが多いでしょう。村上さんは、どういう経緯でそうした仕事をなさっているのですか?
村上:僕はヤフー在籍時、ヤフー傘下のベンチャーキャピタルの仕事でベンチャーに関わっていて、起業志向の若い人の相談に乗ることが多かったのです。その後ヤフーを辞めることになりましたが、いろいろなところから相談に乗ってほしいと声をかけてもらい、今もそれを継続しています。日本の経営者はビジネス系の方が多く、開発の現場やエンジニアの気持ちがわからないという声もよく聞きます。そういう中で、CTOのメンタリングやエンジニアのマネジメント、楽しい開発組織をつくる方法や人材採用のオファーの出し方などをまるっと含めて、「開発組織の運営のアドバイスがほしい」という声が多いのだろうと感じます。自分自身もアントレプレナーですし、キャリアをエンジニアからスタートしています。ヤフーのときはエンジニアとして手を動かすだけでなく、調整役のような仕事もしました。ですから、エンジニアの気持ちも経営の気持ちもわかるつもりです。そのような経験から何か役に立てればという気持ちと、コーチとして若者を応援することで自分の好奇心を満たそうという気持ちでやっています(笑)。
個人事業主、学生ベンチャー、大企業の社員……多様な働き方を経験

確かに、エンジニア出身で事務系の仕事でご活躍なさっている村上さんのような存在は、日本では希有でしょう。加えて、ベンチャーや起業の経験もおありなのですね。
村上:大学に入ったのは、ちょうどWindows 95が出てインターネットブームが到来したころ。パソコン好きが高じて秋葉原のDOS/Vショップでバイトしていました。そこでカスタマイズマシンを注文した法人のお客様から「インターネットにつなぎたい」「ファイル共有ができなくて困った」といった相談を受けるようになったのです。そこから自分で個人事業として、いわば社内ITの便利屋のような仕事を請け負うようになりました。授業そっちのけで(笑)3つぐらいの事業を回して、フリーランスのように働いていたわけです。それが大学の学部で広まって友人経由で川邊健太郎に声をかけられ、一緒に「電脳隊」という学生ベンチャーを立ち上げました。電脳隊はピー・アイ・エムというジョイントベンチャーになり、そのピー・アイ・エムが2000年8月にヤフーに買収されたことで、川邊や僕はヤフーに入ることになりました。大学卒業の1年半近くあとのことです。その川邊がこの2018年、ヤフーの代表取締役社長CEOに就任するというのは、僕らとしてはとても“胸熱”です。
そうすると、就職活動のご経験はありませんか。
村上:就活はしました。実は大学卒業後、一瞬だけ野村総合研究所(NRI)に就職していたのです。
それはどうして?
村上:電脳隊では、KDDIになる前のIDOさん・DDIさんや大手広告代理店と仕事をすることがありました。そういう大企業と接すると、学生には理解できない“世の中の仕組み”が垣間見えるのです。「稟議が下りなくてサーバーが買えない」というのはどういう意味なのか、店で売っているものを買うのになぜ1カ月も待たなければいけないのか――。そうしたことがさっぱり理解できなかった。そういう企業の仕組みを知らないのは社会人としてまずいと思い、就職活動してみることにしました。大企業の中を見ようと考えてコンサル系を選び、ご縁があったのがNRIです。僕はエンジニア枠で入社しましたが、ペーパーレスソリューションの自社パッケージを作って売るようなチームに配属され、フィールドエンジニア兼営業として顧客の新規開拓も行ないました。NRIに在籍したのは結局10カ月ほど(笑)。研修を経て配属先での実働は約半年でしたが、その間にそれなりの売り上げも作りました。
バラエティ豊かな働き方を経験してこられたことが、今の村上さんをつくっているのですね。今の日本では、学生からそのまま起業やフリーランスという働き方を選ぶ方もいますが、会社員として働いて企業の仕組みを知る重要性に着目したという点には気づきがあると感じます。
「エンジニアにはプログラミング以外の仕事もある」は視野を広げる

そこから古巣のピー・アイ・エムに戻られて、半年ほどでヤフーとの合併がありました。
村上:ヤフーがピー・アイ・エムを買収したのは、モバイル事業を強化するためでした。そこでの僕の最初の仕事は、エンジニアとしてガラケー向けのYahoo!(Yahoo!モバイル)をつくること。途中から、ヤフーの全社戦略に関わるようになりました。ヤフーで新しい案件が持ち上がったときには、そのためのシステムや組織を社内でいちから作ることができるのか、それとも社外から買ったほうがいいのか、買う場合いくら投資すべきなのか、といったいわゆる「Make or Buy」を判断することになります。その判断や実際のディールを担当しました。全社の投資案件のデューデリジェンス(M&Aなどに際して企業の資産価値を評価する一連の手続き)の担当にもなりました。投資のあとでチームに参加することもよくあり、大きな案件としてはボーダフォンからソフトバンクモバイルへのトランスフォーメーションなどにも携わりました。
エンジニアとして手を動かすような仕事から事務系の仕事にシフトしていく過程では、相当ご苦労なさったのではありませんか。
村上:もちろん勉強は必要でしたが、エンジニアとしてのバックグラウンドはデューデリジェンスの仕事にも生きました。思えばNRIのときも、エンジニアとしての技術はプログラミングと営業の両方に生かすことができました。エンジニアの働き方はプログラミングだけではないとわかったのは、自分のキャリア形成上大きな学びだったと思います。
その後、村上さんはヤフーを一度退社されて1年後にヤフーに再び入社、“爆速経営”体制のもとで執行役員CMOとしてヤフーのスマホシフトを牽引したご活躍は有名です。そして、LinkedInの日本のカントリーマネージャー就任は驚きをもって受け入れられました。転職を考えたきっかけは?
村上:Yahoo! JAPANのアクセス、広告売り上げ、EC売り上げのすべてにおいて半分以上がスマホ経由になって「スマホシフト完了宣言」が打ち出されると、僕自身がドライブすることがなくなった。そろそろ40歳になろうかという時期でもあり、次に何をしようかということを考えはじめました。そこで考えたのは、「50代を生き延びるためには、グローバルのシニアマネジメントを学ぶ必要がある」ということ。とはいえヤフーもいい会社で、僕には転職する気はまったくありませんでしたから、その道をソフトバンク内部に求めました。しかし残念ながら、希望に合致するグローバルの仕事はあまりありませんでした。そこで、少し広く探してみることにしたのです。
求職者はキャリアを自分で考え、企業は仕組みづくりで人材を生かす時代へ

LinkedInの方とは以前から交流があったとのことですが、移籍を決めたのもそのご縁からでしょうか。
村上:カントリーマネージャーの話は、いつも一緒にお茶を飲んでいたビジネス開発の友人からではなく、別のルートからもらいました。その最初のビデオカンファレンスの相手が当の友人だったので、「直接言えよ」と思いましたが(笑)。そこから成り行きで、毎週彼らとテレカンでLinkedInの戦略について議論を交わしていました。効率的な議論をするため途中からはまるでコンサルのように資料をまとめて臨んでいたのですが、その過程で日本の人材業界について調べると、“昭和の大量一括採用”の時代からあまり変わっておらず、そのわりには結構な額の採用コストが発生しているとわかりました。一方で、日本の社会も変わってきていて、そのような状況が一気に崩れるのは遠くなさそうだという感覚があった。そこから、「これは“変え甲斐”がある。LinkedInでそれを後押しするのも面白いかもしれない」と思ったのです。それから、選考の過程でCEOのジェフ・ウェイナーに会う機会を得られたのも大きかったです。サンフランシスコでの彼との会話は、1時間の予定をオーバーするほどとても盛り上がり、自分もやる気になってしまいました。彼は人間関係を非常に大事にする人です。上司と部下が1対1で定期的にミーティングを行なう「1on1」を早い時期から提唱したり、マインドフルネスの手法をシリコンバレーに持ち込んだのも彼。非常にユニークな経営者です。
今、日本の働き方について気付いたことをお聞かせください。
村上:今までの日本企業は、「就職」ではなく「就社」でした。年功序列、終身雇用をベースに「お前の人生を会社に預けてくれれば、会社はよきにはからう」というコミットメントで成り立ってきたのです。会社に任せておけば、必要なスキルが適切な時期に身につくプログラムがあり、定年までいれば退職金も出た。ところが、それが会社側の事情で崩れました。その影響を大きく受けた若い世代は、もうかなりグローバルの企業に近い考え方をするようになっていると感じます。自分でキャリアを考えて動けるから、人材の流動性も出てきました。一方で、中堅やそれ以上の層では、かつての日本型雇用慣行の文化をひきずっているところがまだあり、役職もスキルも会社が用意してくれるという意識があるのか、「求職者が自分のキャリアを自分で考える」という文化が薄いように思います。ヤフーの執行役員クラスの4分の1くらいは、川邊や僕のようにM&Aで入ってきたような人でした。彼らを見ていると、アントレプレナーシップをもった人には豊富な引き出しと広い視野があって、サラリーパーソンとしての意識だけでやってきた方に比べていろんな思考ができるなと実感しました。そういう意識で仕事をしていると、大企業でも活躍できるのでしょう。そういう意識の持ち方やキャリアに対する考え方といった点でも、LinkedInが役に立てればと考えています。
村上さんもパラレルワークをなさっていますが、副業についてはどうお考えですか。
村上:日本の労働人口がどんどん減っていく中で労働力を担保するには、「今働いていない人、働くことができていない人が働けるようにする」か「すでに仕事に就いている1人にもっと働いてもらう」という2通りの選択肢があります。もちろん、ITやAI、ロボットの活用といった選択肢もありますし、最終的には移民の受け入れという話も出てくるでしょう。しかし、さまざまな事情から思うような就業が叶わず「もっと働きたい」と考えている方は、現段階で一定数いるわけですから、そうした方を生かす方策をとるのがまずとるべき戦略としては正しい。そのためには、副業解禁や働き方の多様化を許容する仕組みづくりが必要で、実際、副業解禁の動きは政府も後押ししています。日本のLinkedInには「Women@LinkedIn」という社内グループがあって、職場での女性の活躍を支援するための活動を行なっています。僕はヤフーのときLGBT+の支援活動をしていましたが、LinkedInでもLGBT系の活動支援の社内グループをスポンサードしています。さまざまな事情を抱える方が気持ちよく働くことができるのは大切なことで、それが会社の力を強めることにもつながると考えています。
<前編:世界30都市以上に拠点を構えるLinkedIn。外資系のイメージとは裏腹な“人間関係”を重視するカルチャーとは>
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