2027年、労働基準法の大改正が予定されています。
この内容は、「ただのルール変更」を超えた、企業の未来を左右する大転換期となると言えるものです。近年は、社会的な雇用関係の変化のニーズに対応するために、多くの法改正が行われています。
「法改正への対応は複雑で、どう進めればいいか分からない…」
「働き方の多様化に対応しつつ、どうやって従業員のエンゲージメントを高めればいいのだろう?」
もしかしたら、そんな悩みを抱えていませんか?
この2027年の労働基準法の法改正は、単なる「遵守すべき義務」ではありません。
従業員の自律性を高め、組織全体を機動的にすることで、企業の成長を加速させる最大のチャンスなのです。
「法改正への対応」という守りの視点から、「企業価値を向上させる攻めの経営戦略」へと視点を転換し、具体的な活用事例を交えながら、2027年労働基準法大改正の核心に迫ります。
これまでの振り返りと第6回の位置づけ
第1回では、労働基準法改正が「働き方を自由にする」という根本的方向性を持ち、時間的・場所的・一社専属的な拘束性をなくすことで人的資本経営と連動した価値創造を促進する歴史的転換点であることを確認しました。これは働き方改革(2017年〜)、人的資本経営(2022年〜)に続く雇用政策の第三段階として位置づけられ、人事労務管理と働き方まで一貫した戦略と価値創造の徹底を目指しています。
第2回では、23以上の改正項目を「多様な働き方の推進」「労働時間法制の見直し」「労使コミュニケーションの深化」「働き方のIT戦略の実現」という4つの変革ポイントに整理しました。これらは相互に関連し合い、「働き方を自由にする」という統一的な方向性のもとで、総合的な働き方の変革を実現するための要素となります。
第3回では、副業・兼業制度を取り上げ、一社専属的拘束からの解放による価値創造の可能性と、戦略的な制度設計の重要性を論じました。第4回・第5回では、「多様な働き方の推進」と「労働時間制度の変革」のそれぞれについて、実現方法や対応方法と、先進企業の実践パターンを解説しました。
本連載は全6回の予定でしたが、現在の市場動向や読者の皆さまからの関心の高さを鑑み、急遽予定を変更させていただきます。今回は、当初の計画にはなかったテーマとして、4つの変革ポイントの中でも「労使コミュニケーションの深化」に焦点を当てます。これは、他の3つの変革ポイント(多様な働き方、労働時間制度、IT戦略)を実質的に機能させ、持続的な改善を可能にする基盤となるものです。特に、過半数代表制の改善による実効的な労使対話、組織規模に応じた労使コミュニケーションの設計、そして先進企業の具体的な取り組みを構造的に分析します。
労働基準法改正の中核的な構造:柔軟性と妥当性の両立による価値創造
今回の労働基準法改正の最も重要な特徴は、「多様な働き方と労働時間規制の柔軟化を、労使コミュニケーションによって妥当な形で実現する」という構造にあります。これは、働き方の自由度を高めながら、同時に従業員の保護と組織の健全性を確保するという、一見相反する二つの目標を両立させる仕組みです。
具体的には、事業概念の柔軟化により戦略単位での働き方の検討が可能になり、フレックスタイム制の改善により時間的自由度が高まり、副業・兼業の促進により一社専属的拘束が緩和されます。これらの柔軟化は、従来の画一的な規制からの解放を意味します。
しかし、柔軟性を高めるだけでは、過重労働や不当な労働条件の温床となるリスクがあります。そこで、過半数代表制の改善を通じた実効的な労使コミュニケーションが、柔軟性に対する「歯止め」として機能します。労使が十分に協議し、合意形成を図ることで、柔軟な働き方が妥当な形で実現され、従業員の保護と企業の価値創造が同時に達成されるのです。
労働基準関係法制研究会の報告書でも、この構造が明確に示されています。柔軟な働き方制度の導入と、それを支える労使コミュニケーションの強化が一体的に提言されており、「働く人を守る」(守る)ことと「多様な働き方を支える」(支える)ことの両立が、今回の改正の根本的な目的とされています。
人的資本経営の人材戦略として労使コミュニケーションを位置づける
労使コミュニケーションの深化は、人的資本経営の人材戦略の中核として位置づける必要があります。働き方を「より自由にして価値を高める」という方向性が、雇用政策全体を貫く基本理念として示されています。
この方向性は、2015年の日本再興戦略から始まり、働き方改革(2017年〜)で過重労働慣行を是正し、人的資本経営(2022年〜)で戦略的人事を推進してきた流れの到達点です。労働基準法改正は、人事労務管理と働き方まで一貫した人材戦略の構築を求めており、労使コミュニケーションはその実現手段として不可欠な要素となります。
重要なのは、労使コミュニケーションを「事後的な報告・説明の場」ではなく、「経営戦略と人材戦略を結びつける対話の場」として設計することです。事業の変革方向性、必要な人材像、働き方の理想像について、経営層と従業員が共に考え、合意を形成していくプロセスが、企業の価値創造力を高めます。
人的資本経営を先進的に推進している企業では、事業戦略の変革に伴う人材ポートフォリオの激変を、労使の徹底した対話を通じて実現しています。単なる制度変更の説明ではなく、「なぜこの変革が必要か」「従業員一人ひとりのキャリアにどう影響するか」「どのような成長機会があるか」を、労使が共に探求する姿勢が、変革の成功を支えています。
労働基準関係法制研究会における労使コミュニケーションの位置づけ
2027年の労働基準法改正の基礎となる厚生労働省「労働基準関係法制研究会」では、労使コミュニケーションが集中的に議論されました。これは研究会が労使コミュニケーションを、単なる手続き的事項ではなく、労働基準法制の根幹に関わる重要課題として位置づけていることを示しています。
研究会の最終報告書では、「労働者と使用者の間に存在する交渉力の格差を是正するために、労働組合が果たす集団的な交渉の役割が重要である」との認識が明確に示されています。特に、労働組合の組織率が長期的に低迷している現状において、労働組合がない事業場で重要な役割を担う「過半数代表者」の制度改善が喫緊の課題として強調されています。
さらに注目すべきは、研究会が「情報開示」を労使コミュニケーションの重要な基盤として位置づけている点です。企業による労働時間の情報開示が繰り返し議論され、「企業外部への情報開示」「企業内部での労使コミュニケーション」「個別の労働者への明示」という3つのレベルで整理されました。情報の透明性が、実効的な労使対話を可能にする基盤として、極めて重要な位置づけがなされています。
同時期の金融商品取引法改正との連動:統合的な情報開示戦略
労働基準法改正と同時期に、金融商品取引法の重要な改正も進められています。2026年3月期から有価証券報告書への賃金上昇率の開示が義務化され、人的資本経営のストーリー化がより一層求められるようになります。これらは労働基準法改正ではありませんが、上場企業における広い意味での企業内外のコミュニケーションに大きく資するものです。
これらの金融商品取引法改正と労働基準法改正は、一見別々の規制のように見えますが、実は「情報開示を通じたコミュニケーションの深化と企業価値向上」という共通の目的を持っています。労働基準法改正による労働時間情報の開示、過半数代表者への情報提供と、金融商品取引法改正による賃金上昇率の開示、人的資本ストーリーの可視化は、統合的な情報開示戦略として設計する必要があります。これにより、投資家、従業員、過半数代表者、求職者という多様なステークホルダーに対して、一貫したメッセージを発信できます。
企業における実現方法:統合的人材戦略の中核としての労使コミュニケーション
労使コミュニケーションの深化を実現するには、以下の4つの要素を統合的に推進する必要があります。
過半数代表制の改善:実効的な労使対話の基盤
労働基準関係法制研究会の最終報告書(*1)では、過半数代表者制度について「選出方法の不適切性、役割遂行に伴う個人の負担、そして交渉力の不足といった複数の課題」が指摘されています。2027年の労働基準法改正では、適正な選出手続きの法定化、使用者による情報提供義務と活動支援、制度の柔軟化(複数人選出や任期制)などが提言されています。
労使対話の活性化:事前協議と多層的な議題設定
従来の年1〜2回の形式的な協議から、高頻度で実質的な対話を行う体制への転換が求められます。制度変更の構想段階から労使で協議し、従業員のニーズや現場の実態を制度設計に反映させることで、制度の実効性が高まるとともに、従業員の納得感が向上します。
研究会第9回会合では、「複数の事業場を持つ企業においては、過半数代表者を一堂に集めて協議を行うことで、事務負担を軽減し、労働者側の交渉力を強化できる可能性がある」ことが議論されました。ITツールの活用により、非同期での意見収集やリアルタイム投票なども可能になり、より多くの従業員の声を効率的に収集できます。
情報の透明性確保:3つのレベルでの情報開示
労働基準関係法制研究会では、情報開示が「企業外部への公表」「企業内部での労使コミュニケーション」「個別の労働者への明示」という3つのレベルで整理されました。企業外部への情報開示では、労働市場における競争を通じて企業の労働条件改善を促すことが期待されます。企業内部での情報開示では、財務状況、事業戦略、人材戦略、労働時間データなどを、従業員や過半数代表者に積極的に共有し、実質的な対話を促進します。
外部への価値発信:人的資本開示との統合
金融商品取引法改正による人的資本開示の義務化を踏まえ、労使コミュニケーションの成果を外部に発信することが、企業価値向上の重要な要素となります。人的資本開示のストーリー化において、労使コミュニケーションは「従業員エンゲージメント」や「組織文化」を示す重要な指標となります。「過半数代表者との定期的な協議により、働き方改革を推進→従業員満足度が向上→離職率が低下→優秀人材の定着により事業成長」という一連の流れを、データと具体的な取り組みで示すことができます。
先進企業の実践事例:労使コミュニケーションの多様なアプローチ
厚生労働省や経済産業省などの行政資料に掲載されている先進企業事例を体系的に整理しています。以下、代表的な事例を簡潔に紹介します。
パナソニック コネクト株式会社(出典:ジョブ型人事指針)では、ジョブ型人事制度導入時に「労使委員会」を設置し、制度構想段階から高頻度で協議を実施。労働組合も主体的に関与し従業員への説明を担当することで、制度理解が深まりました。
株式会社レゾナック・ホールディングス(出典:ジョブ型人事指針)では、事業統合に伴う人事制度改革で、両社労働組合と半年以上の労使協議を実施。「新制度で何が重要か、今後どう業務に従事できるか」を労使双方が議論しました。
三井住友海上火災保険株式会社(出典:技術革新(AI等)が進展する中での労使コミュニケーションに関する検討会 取組事例集)では、労使間で会社情報を全てオープンに「見える化」し、バランスシート等の月次報告を従業員・組合に提示することで、健全な労使関係を構築しています。
株式会社リコー(出典:技術革新(AI等)が進展する中での労使コミュニケーションに関する検討会 取組事例集)では、労働組合がない中、全従業員参加の「リコー懇談会」を各階層に常設。経営側が諮問、答申を受けて最終決定する仕組みで、経営情報・業績も共有されています。
株式会社楓の風(出典:令和4年度「輝くテレワーク賞」事例集)では、日報活用や育成型人事制度個人面談(半年ごとに全社員と実施)を通じて、双方向コミュニケーションを実現しています。
まとめ:柔軟性と妥当性の両立が企業価値を高める
今回は、労働基準法改正における「労使コミュニケーションの深化」に焦点を当て、その実現方法を多角的に解説しました。最も重要なポイントは、今回の労働基準法改正が「多様な働き方と労働時間規制の柔軟化を、労使コミュニケーションによって妥当な形で実現する」という構造を持っていることです。
働き方の自由度を高めながら、労使の十分な対話と合意形成によって従業員の保護と組織の健全性を確保するという、柔軟性と妥当性の両立が、今回の改正の中核的な仕組みです。これは、人的資本経営の人材戦略として「より自由で多様な働き方を、戦略的かつ妥当に実現する」ことを目指しており、企業の価値創造力を高める重要な基盤となります。
労使コミュニケーションは今回の改正の中核を担う重要課題です。特に、労働基準法改正による労使コミュニケーションの改善と、金融商品取引法改正による賃金上昇率の開示・人的資本開示のストーリー化が同時期に進められることで、企業は過半数代表制の改善、労使対話の活性化、情報の透明性確保、外部への価値発信という4つの要素を統合的に推進し、従業員、投資家、求職者という多様なステークホルダーに対して一貫したメッセージを発信できます。
先進企業の事例からは、労使委員会の活用、情報の完全オープン化、独自の労使対話システム、双方向コミュニケーションツールの戦略的活用、そして人的資本開示への統合という多様なアプローチが見えてきました。それぞれの企業が、自社の状況に合わせて最適な労使コミュニケーションの形を創造し、柔軟性と妥当性を両立させながら、価値創造を実現しています。
*1 労働基準関係法制研究会報告書
https://www.mhlw.go.jp/content/11402000/001370269.pdf
松井 勇策が講師を務める「2027年労働基準法改正」を人材戦略に組み込むワークショップ
2027年に予定されている「労働基準法改正」。これは単なるルール変更ではなく、人的資本経営を次のステージに進める重要な転換点です。この改正にどう向き合うかによって、企業の人事戦略は大きく二極化します。法令遵守という「守りの対応」に留まるのか。それとも、「攻めの人材戦略」を仕掛ける絶好の機会と捉えるのか。
本ワークショップでは、雇用法制と人的資本経営の第一人者である松井勇策と共に、法改正の動向をただ知るだけでなく、法令をもとにした対応方法を創造的に発想していく場となります。
次回は、「2030年の組織と働き方:労働基準法改正がもたらす構造変革への準備」について詳しく解説します。
<連載コラム>
第1回:2027年労働基準法改正:規制対応から戦略創造への大転換
第2回:2027年労働基準法大改正の全体像:企業が知るべき23以上の改正と4つの変革ポイント
第3回:副業・兼業制度の戦略的設計:人材流動化時代の競争優位構築
第4回:先進企業の人的資本経営実践例:労働基準法改正を成長エンジンに変える方法1
第5回:先進企業の人的資本経営実践例:労働基準法改正を成長エンジンに変える方法2
第6回:先進企業の人的資本経営実践例:労働基準法改正を成長エンジンに変える方法3 ★今回
第7会:2030年の組織と働き方:労働基準法改正がもたらす構造変革への準備