2026年3月期の金融商品取引法改正、人的資本情報の拡充への対応 ~労働基準法大改正と統合した働き方の価値向上~

日本の労働政策は今、大きな転換点を迎えています。

本シリーズは「徹底解説!『働き方の自由化』への人材戦略と労働法制」と題し、人的資本・雇用政策の専門家である松井勇策氏が、2027年以降の施行を見据えて議論が本格化している労働基準法の抜本的見直しについて、その方向性と企業への影響を詳しく解説します。

今回の法改正議論の本質は、単なる規制変更に留まりません。働く人と企業が共に価値を創造する「自律的な働き方」への転換という、パラダイムシフトの渦中にあります。

政府の検討会議等で、2026年夏の閣議決定に向けた議論が加速する見込みです。法改正の論点が多角化している今こそ、企業には制度設計の先行検討が求められています。

本シリーズでは、最新の政策動向から人的資本経営との連動、具体的な実務対応のステップまで、企業における「次世代の人事戦略」を構築するための指針を提示します。

第9回のテーマは「2026年3月期の金融商品取引法改正、人的資本情報の拡充への対応 ~労働基準法大改正と統合した働き方の価値向上」です。

金融商品取引法改正の概要と、近年の制度変更が示す根本「人を生かす経営」への転換

金融庁は2025年11月26日、「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正案(*1)を公表しました。この改正は2026年3月31日以後に終了する事業年度から適用される見込みであり、3月期決算企業の場合、2026年6月頃提出の有価証券報告書が初回適用となります。

改正の骨子は、従来の人的資本情報開示を「形式的な数値の羅列」から「投資家が企業の人的資本経営を評価できる実質的な開示」へと転換させることです。具体的には、企業戦略と連動した人材戦略の方針、従業員給与の決定方針、平均年間給与の前年比増減率、持ち株会社における子会社の従業員給与情報といった項目が新たに義務化されます。また、有報内の「従業員の状況」の記載位置が「第1【企業の概況】」から「第4【提出会社の状況】」へ移動し、人的資本に関する情報が一カ所に集約されることになります。

金融審議会「ディスクロージャーワーキング・グループ」(第1回) 事務局資料より https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/disclosure_wg/shiryou/20250826.html

本稿では、この金融商品取引法改正による人的資本情報開示制度の大幅拡充について、その具体的内容と実務対応を主軸として解説します。加えて、2027年以降に施行が見込まれる労働基準法大改正との構造的な連動性を明らかにし、上場企業が両制度を統合的に活用して企業価値を高めていくための戦略的視座を提示できればと思います。

労働基準法大改正との関連性 ─ 執筆内容の振り返りを踏まえて

筆者は、みらいワークス総合研究所において「徹底解説!『働き方の自由化』への人材戦略」と題した連載コラムを執筆し、2027年労働基準法大改正について体系的に解説してきました。この連載では、労働基準法改正が「働き方を自由にする」という根本的方向性を持ち、時間的・場所的・一社専属的な拘束性をなくすことで人的資本経営と連動した価値創造を促進する歴史的転換点であることを捉えてきました。

具体的には、23以上の改正項目を「多様な働き方の推進」「労働時間法制の見直し」「労使コミュニケーションの深化」「働き方のIT戦略の実現」という4つの変革ポイントに整理し、それぞれについて先進企業の実践事例を交えながら戦略的活用方法を提示しました。また、先進企業の取り組みを構造的に分析し、「包括的な拘束解放による統合的アプローチ」「現場への柔軟性拡大による全社的変革」「中小企業による差別化戦略としての活用」「データ活用による働き方の可視化と最適化」という4つの実践パターンを抽出しました。

今回採り上げた金融商品取引法改正と上記の労働基準法改正は、一見すると異なる領域の法令改正に見えますが、その根底には共通の政策理念が流れています。それは、「人をコストではなく価値創造の源泉(資本)として捉え直し、多様で自由な働き方を通じて、企業と働く人双方の価値を高めていく」という考え方です。金融商品取引法改正が「人材戦略と経営戦略の連動を開示せよ」と求めるのに対し、労働基準法改正は「その人材戦略を実現するための働き方の柔軟性を法的に担保する」という関係にあります。人的資本への投資と情報開示の充実が政策の中核に位置づけられ、企業は単なる法令順守を超えた戦略的対応を求められているのだと言えます。

金融商品取引法改正による人的資本情報開示の大幅拡充・改正の背景と新設開示項目

今回の改正は、従来の人的資本情報開示を「形式的な数値の羅列」から「投資家が企業の人的資本経営を評価できる実質的な開示」へと転換させることを目的としています。現行制度では、人材育成方針や多様性指標が有報の複数箇所に分散して記載されており、経営戦略と人材戦略の関連性が十分に示されていないという課題がありました。上場大企業においても多くが最終成果(アウトカム)を示せておらず、施策と成果指標の対応関係を明示していないという実態があることはよく言われることです。今回の改正は、こうした「形式から実質へ」の転換を法令レベルで求めるものであり、企業に対して人的資本経営の本質的な説明を促すものといえるでしょう。

改正案で追加される主な開示項目は以下の4点です。

【新規開示項目や形式の要点】

開示項目 求められる内容
人材戦略の方針 経営戦略との連動性、投資と成果のストーリー
給与決定方針 等級・評価・報酬の整合性、決定プロセスの透明性
平均給与増減率 前年比増減率(%)の記載、賃上げ状況の可視化
子会社情報 最大人員子会社の平均給与額・増減率

第一に、企業戦略と連動した人材戦略の方針については、中期経営計画や事業戦略との連動性を明示した形での開示が必要となります。単なる人事制度の説明ではなく、「なぜこの人材戦略が必要で、どう投資し、どうなるか」を一貫したストーリーとして示すことが求められます。

第二に、従業員給与の決定方針では、等級・評価・報酬制度の整合性を説明し、報酬決定プロセスの透明性を高めることが求められます。成果主義の導入状況や職務給の採用、市場水準との比較など、給与制度に関する考え方を開示することになります。

第三に、平均年間給与の前年比増減率については、従来の当期金額に加え、前事業年度比の増減率(%)を記載することで、企業の賃上げ状況が時系列で可視化することが必要になりました。政府が推進する賃上げへの取り組み度合いが明確に示されることとなります。

第四に、持ち株会社の子会社情報として、連結会社のうち従業員数が最も多い子会社(最大人員会社)の平均給与額・増減率等を記載し、グループ全体の実態に即した開示を実現することになります。

新設項目に加え、今回の改正では、有報内の「従業員の状況」の記載位置が「第1【企業の概況】」から「第4【提出会社の状況】」へ移動し、人的資本に関する情報が一カ所に集約されます。これに伴い、従業員向けストックオプション制度や従業員持株会制度についても「従業員の状況」に記載することになります。この再編により、投資家は人的資本関連情報を一覧でき、企業の人材に対する考え方、処遇、投資状況を統合的に理解できるようになります。

労働基準法大改正との構造的連動性・両制度に通底する政策理念

筆者がみらいワークス総合研究所の連載「徹底解説!『働き方の自由化』への人材戦略」において論じてきたように、2027年に施行が見込まれる労働基準法の大改正は、約40年ぶりの抜本的見直しであり、その根本的な方向性は「働き方を自由にすること」にある。時間的拘束、場所的拘束、一社専属的拘束という3つの拘束性をなくす方向で、各企業の多様で価値が高い取り組みを促し、創出される価値を向上させていくことを目指しているものだと言えます。

金融商品取引法改正による人的資本情報開示の拡充と、労働基準法改正は、「人的資本経営」という共通の政策フレームワークの下で密接に連動しています。両者の関係を整理すると以下の通りとなります。

【金融商品取引法改正と労働基準法改正の連動構造】

観点 金融商品取引法改正 労働基準法改正
共通理念 人を価値創造の源泉として、多様で自由な働き方を通じて双方の価値を高める
主たる役割 人材戦略の「開示」を要求 人材戦略「実践」の法的基盤を提供
企業への要請 経営戦略と人材戦略の連動を説明 働き方の柔軟性を制度として整備
対象・範囲 上場企業(有報提出会社) 全ての使用者・労働者

連載第2回「2027年労働基準法大改正の全体像」において整理したように、労働基準法改正は「多様な働き方の推進」「労働時間法制の見直し」「労使コミュニケーションの深化」「働き方のIT戦略の実現」という4つの柱から構成されます。これらは金融商品取引法改正と以下のように接続するものと考えられます。

  • 「多様な働き方の推進」については、事業概念の検討、副業・兼業の割増賃金ルール見直し、つながらない権利の制度化などが予定されている。これらは金融商品取引法の人材戦略開示において、「どのような働き方を通じて人材の価値を最大化するか」というストーリーの実践基盤となる。連載第3回「副業・兼業制度の戦略的設計」で論じたように、副業・兼業の推進は「人材の囲い込み」から「人材の価値最大化」への戦略転換を可能にする。
  • 「労働時間法制の見直し」については、労働時間情報の開示義務化、連続勤務の制限、勤務間インターバル制度の導入促進などが含まれる。特に労働基準法改正で求められる「労働時間の開示」は、金融商品取引法の人的資本開示における「働き方の質」の指標として直接活用できる。
  • 「労使コミュニケーションの深化」については、過半数代表制の改善や労使協定の形骸化防止が予定されている。これは人的資本経営における「従業員エンゲージメント」の実質的向上につながり、金融商品取引法開示の説得力を高める好循環を生む。
  • 「働き方のIT戦略の実現」については、デジタル技術を活用した労務管理の高度化が目指されている。連載第4回「先進企業の人的資本経営実践例」で論じたように、人事データの一元管理と戦略的活用は、金融商品取引法開示の基盤となるだけでなく、経営の意思決定ツールとして機能する。

上場企業に求められる実務対応・統合的対応の基本フレームワーク・進め方について

金融商品取引法改正と労働基準法改正への対応は、別個に進めるのではなく、統合的なフレームワークのもとで推進することが効率的かつ効果的です。連載第4回「先進企業の人的資本経営実践例」において分析した4つの実践パターンは、金融商品取引法開示対応にも直接応用できるものだと言えます。本フレームワークは、筆者が本稿の執筆に当たって改めて整理したものです。

【先進企業の4つの実践パターン】

実践パターン 特徴と金融商品取引法開示への応用
包括的な拘束解放による統合的アプローチ 時間・場所・一社専属の3つの拘束を包括的に解放。パーパスや価値創造ストーリーとの結びつけにより、一貫したナラティブを構築しやすい
現場への柔軟性拡大による全社的変革 店頭スタッフや現場社員にも柔軟な働き方を拡大。組織全体の変革を開示において示すことが可能
中小企業による差別化戦略としての活用 柔軟な働き方を人材獲得の差別化要因として戦略的に活用。迅速な意思決定と組織浸透が強み
データ活用による働き方の可視化と最適化 人事データを一元管理し、役員から管理職まで活用可能な環境を整備。金融商品取引法開示の信頼性と説得力を向上

上記のフレームワークも参考にして、2026年3月期の初回適用に向けた準備は、以下の流れで進めることが推奨されるものと想定されます。

第一段階として、現状把握と課題の特定を行うことが必要です。現行の人的資本関連データの棚卸しを行い、グループ会社・雇用区分をまたぐデータ基盤の現状を確認することが必要です。連載第4回で論じたように、タレントマネジメントシステム、勤怠管理システム、エンゲージメント調査ツールなどが個別に存在している場合、これらのデータ連携が可能かどうかの確認が重要だと思います。

第二段階として、戦略策定と言語化を行うことになります。経営戦略と人材戦略の連動性を整理・明文化し、賃金決定方針を等級・評価・報酬との整合性を含めて言語化が必須になったものと言えます。中期経営計画と人財戦略をストーリーとして整理し、経営トップをはじめとする検討体制を構築することが求められます。人的資本投資のリターンを定量的に示し、経営側で直接説明できる内容として準備することが効果的です。

第三段階として、体制構築と運用開始を行うことが想定されます。複数年度の平均給与データを整備し、人事システムの見直し・データ集約の仕組みを構築する。経営企画・財務・IR・人事部門の連携体制を確立し、労務管理をオペレーションではなく「働き方を自由にすることで価値を創造する」という人材戦略の実行部門として位置づけ直す必要があります。

第四段階として、開示内容の作成と最終確認を行うことはほとんどの場合に必要になると思います。ストーリー性のある記載内容を作成し、経営トップとの内容の擦り合わせを行うことが必ず必要でしょう。統合報告書等との整合性を確認し、「なぜこの人材戦略が必要で、どう投資し、どうなったか」を一貫した物語として語ることを目指す。男女間賃金差異など差異の要因分析から新たな施策を導出するPDCAサイクルを示すことで、開示の実効性を高めることができるものだと言えます。

制度変革を「攻めの機会」に転換する戦略的視座

金融商品取引法改正と労働基準法改正という2つの制度変革を、単なる「守りの法令対応」として捉えるのか、「攻めの価値創造機会」として活用するのかで、企業の将来は大きく分かれてくるとすらいえます。連載の冒頭で述べたように、2027年の労働基準法の法改正は、単なる「順守すべき義務」ではなく、従業員の自律性を高め、組織全体を機動的にすることで、企業の成長を加速させる最大のチャンスです。

そのような機会だからこそ、人事部門にとって、この変化は脅威ではなく機会であると言えます。開示対応を通じて経営層との対話を深め、人的資本経営を推進することで、人事部門の戦略的価値を高めることができます。そして何より、働く人一人ひとりが自らの可能性を最大限に発揮できる社会の実現に貢献することができるでしょう。

今までも連載の中で触れたように、人的資本開示を取り巻く制度環境は今後さらに発展していきます。2027年3月期からはプライム市場の大企業にSSBJ基準(サステナビリティ開示基準)が義務化され、2030年代にはプライム市場全企業に拡大される見込みです。また、グロース市場では上場後5年で時価総額100億円という維持基準の審査も始まります。

開示対応を単なるコンプライアンス業務と捉えるのではなく、人的資本経営の推進と位置づけることで、経営層との対話機会が増え、人事部門の戦略的価値を高めることができます。「開示のための情報収集」から「価値創造を強化するための人的資本活用」への転換をけん引できるかどうかが、これからの人事部門の真価を問うことになるのではないでしょうか。制度変革を「守りの対応」ではなく「攻めの機会」として捉え、経営戦略と一体となった人的資本経営を推進する企業こそが、これからの時代に持続的な成長に必要な前提条件であると言えると思います。

 

*1 金融庁「企業内容等の開示に関する内閣府令の一部を改正する内閣府令」(案)等に対するパブリックコメントの実施について
https://www.fsa.go.jp/news/r7/shouken/20251126/20251126.html

 

<関連コラム>
第1回:2027年労働基準法改正:規制対応から戦略創造への大転換
第2回:2027年労働基準法大改正の全体像:企業が知るべき23以上の改正と4つの変革ポイント
第3回:副業・兼業制度の戦略的設計:人材流動化時代の競争優位構築
第4回:先進企業の人的資本経営実践例:労働基準法改正を成長エンジンに変える方法1
第5回:先進企業の人的資本経営実践例:労働基準法改正を成長エンジンに変える方法2
第6回:先進企業の人的資本経営実践例:労働基準法改正を成長エンジンに変える方法3
第7回:2030年の組織と働き方:労働基準法改正がもたらす構造変革への準備
第8回:労働基準法改正の「論点拡大・早期化」と高市内閣「労働時間規制緩和」:今後の流れと実務影響
第9回:2026年3月期の金融商品取引法改正、人的資本情報の拡充への対応 ~労働基準法大改正と統合した働き方の価値向上 ★今回