本シリーズは「徹底解説!『働き方の自由化』への人材戦略と労働法制」と題し、2027年以降の施行を見据えて議論が本格化している労働基準法をはじめとする、雇用関連の法令政策の見直しについて、その方向性と企業への影響を解説しています。
これまでの連載では、一連の改正が「守りの法令対応」ではなく「攻めの人材戦略の機会」であること、そしてその本質が、個人のキャリアやライフステージに応じた働き方を実現し、人と企業の価値をともに高めることにある、とお伝えしてきました。
今回からは、2026年に入って動きが加速している最新の論点を、順に取り上げていきます。その第1回として選んだのが、裁量労働制です。いま政府の会議体で最も活発に議論されている制度であり、同時に、誤解も生まれやすいテーマです。本稿では、この間の議論をいったん整理したうえで、今年すでに対応が確定している法改正と、裁量労働制とがどうつながっているのかを読み解きます。
いま、裁量労働制が議論の焦点になっている理由
2026年は、企業にとって対応すべき法改正が重なる年です。女性活躍推進法や障害者雇用促進法の改正、ハラスメント規制の強化、同一労働同一賃金をめぐる対応など、すでに枠組みが定まった改正がいくつも控えています(これらは次回以降に取り上げます)。
その一方で、まだ結論は出ていないものの、最も大きな注目を集めている論点があります。それが裁量労働制です。2026年に入り、政府は成長戦略の一環として労働市場の改革を掲げ、その中心的なテーマとして裁量労働制の見直しを取り上げました。経済界は対象を広げるよう強く求め、労働組合側は慎重な姿勢を崩していません。立場によって主張が大きく割れる、いわば「火種」のような論点になっています。
なぜこれほど注目されるのか。理由はシンプルです。裁量労働制は、「働いた時間の長さ」で人を管理するという、日本の労働時間制度の大前提を問い直す制度だからです。働き方を自由にするという連載全体のテーマと、最も深いところで結びついているのが、この制度なのです。
実際の動きを簡単に振り返っておきます。2026年に入り、高市首相が制度の見直しに言及したことを起点に、春以降、政府の会議体で対象拡大の是非が集中的に議論されてきました。あわせて厚生労働省は、約7年ぶりとなる実態調査の実施を決めています。報道では「拡大」という言葉が先行しがちですが、議論はまだ途中であり、結論が出たわけではありません。
経済界が対象の拡大を求めるのは、専門性が高く自分で仕事を組み立てる人材にとって、一律の時間管理がかえって働きにくさや非効率を生む、という考えからだと捉えられます。一方で労働側が慎重なのは、運用を誤れば、裁量労働制が事実上の「働かせ放題」になりかねないという懸念が根強いためです。どちらの言い分にも理があり、だからこそ、制度を広げるかどうか以上に、それをどう設計し運用するかが重要になるのだと言えます。
そもそも裁量労働制とは、どういう制度か
裁量労働制とは、ごく平たくいえば、「実際に働いた時間の長さではなく、あらかじめ労使で決めた時間を働いたものとみなして賃金を支払う」仕組みです。たとえば「1日8時間働いたものとみなす」と決めておけば、実際の労働時間が日によって変動しても、その8時間分の賃金が支払われます。仕事の進め方や時間配分を、会社が細かく指示するのではなく、働く本人の裁量に委ねることを前提とした制度です。
現状の制度で対象となっているのは、研究開発やデザイン、一部の企画業務など、成果を時間で計りにくい仕事です。制度には、専門的な業務に適用する「専門業務型」と、企画・立案などに適用する「企画業務型」の二つの類型があります。
専門業務型は、研究開発や情報システムの設計、デザイナー、編集者など、法令で定められた専門的な業務に適用されます。企画業務型は、経営の中枢で企画・立案・調査・分析を行う業務が対象です。いずれも、本人に実際の裁量が確保されていることが前提であり、名前だけで当てはめて長時間労働を正当化する、といった運用は認められていません。今回の議論で焦点となっている「対象の拡大」とは、この線引きをどこまで広げるか、という話だと言えます。
政府の「とりまとめ(案)」は、裁量労働制をどう位置づけたか
ここで、議論の現在地をもう少し具体的に見ておきます。裁量労働制の見直しを主導しているのは、政府が成長戦略の一環として設けた「労働市場改革分科会」です。この分科会は2026年春にかけて議論を重ね、5月に開かれた第4回会合で「とりまとめ(案)」が提示されました。内容は、夏に決定される成長戦略、そして政府の基本方針である「骨太の方針」へと反映される見通しです。
ここで強調しておきたいのは、このとりまとめ案を読む「順序」です。文書の中心を占めているのは、裁量労働制などの労務管理制度ではありません。前半の大半は、産業構造の変化、人的資本への投資、成長分野への労働移動など、戦略自体の判断の話です。構造を単純化すると、第一に産業と人材をめぐる大きな変化という前提があり、第二にそこから導かれる「これからの働き方の価値」があり、第三に、その延長線上の各論として裁量労働制や多様な働き方などの各論が置かれています。
とりまとめ案が柱に据えているのは「リ・スキリングと労働生産性の向上」「希望に応じた円滑な労働移動」「多様な人材の労働参加」であり、裁量労働制は三つめの柱のなかの「労働時間法制」という一論点の中の重要な制度となります。
裁量労働制について、とりまとめ案は何と書いているのか。本文は、結論を一方に決めていません。「濫用を防ぐ措置とセットなら拡充の議論を進めるべき」という意見と、「長時間労働になりやすく、裁量や処遇が十分に確保されていない実態がある以上、拡充すべきではなく、まず2024年改正を踏まえた適正運用の徹底が先だ」という意見を、両論併記しています。そのうえで、まず2024年改正後の実態を把握し、あるべき姿は労働政策審議会で慎重に議論する、とまとめています。
ここで注意したいのは、報道や政治のトーンと、文書そのもののトーンに温度差があることです。高市首相は4月の成長戦略会議で、生産性を5年で15%高める目標とともに裁量労働制の見直しの加速を指示し、経済界も拡充を強く求めています。そのため報道の多くは「対象拡大、検討を加速」という見出しを掲げました。しかし、とりまとめ案の本文自体は、拡充論と慎重論を併記し、結論を審議会に委ねた抑制的な書きぶりです。方向が一本に定まったかのように読むのは正確ではなく、制度としての結論は、これから年末に向けて詰められていきます。
問われているのは「制度が広がるか」より、「どんな順序で考えるか」
ここからが、本稿で最もお伝えしたい点です。
裁量労働制をめぐる報道の多くは、「対象業務が拡大されるのかどうか」に焦点を当てています。たしかに大きな論点ですが、企業の人材戦略から見ると、それは話の半分にすぎません。むしろ問われているのは、自社が働き方を「どんな順序で」考えているかです。
ありがちなのは、「労働時間をどうするか、賃金はいくらか、法的リスクはどこか」という働き方の制度自体を最初から問題にする考え方です。しかしこの順序では、制度が自社の事業や人材戦略と結びつかず、議論がぶれてしまいます。本来の順序は逆です。まず自社の経営戦略を確かめ、そこから必要な人材戦略を描き、それを実現する形で労働時間制度や評価制度を設計し、最後に就業規則などのルールに落とし込む。労働時間制度は、いちばん最後に決まるものなのです。とりまとめ案も「経営戦略と人材戦略の連携」を重視しており、前章で見た「裁量労働制は各論」という構造は、企業の実務でもそのまま当てはまります。
本連載で副業・兼業を取り上げた際にもお伝えしたことですが、「制度が解禁・拡大されること」と「それを自社の人材戦略としてどう設計するか」は、まったく別の問題です。裁量労働制も同じです。仮に対象が広がったとしても、自社にとって、どの仕事を、どのような考え方で、自律的な働き方に委ねるのか。その設計がなければ、制度はただの賃金計算の枠組みで終わってしまいます。
今年の確定法改正と、裁量労働制が向いている「同じ方向」
冒頭で触れた「今年すでに対応が確定している法改正」と、裁量労働制とは、どうつながっているのでしょうか。先に見たように、とりまとめ案は裁量労働制を「多様な働き方による労働参加の促進」の柱に置きました。実は、今年の確定法改正の多くも、同じ柱の上に立っています。
まず押さえておきたいのは、裁量労働制の見直しは、2026年に対応が確定している改正には含まれていない、という点です。女性活躍推進法や障害者雇用促進法の改正、ハラスメント規制、同一労働同一賃金は、すでに枠組みが定まり、今年対応すべきものです。これに対して裁量労働制は、年末に向けて議論が続き、その先の法改正を見据える段階にあります。対応すべき時間軸が異なります。
しかしながら、俯瞰(ふかん)的に見ると両者はばらばらの話ではありません。向いている方向は同じです。女性活躍推進法の改正は、賃金や登用の実態を見えるようにし、多様な働き方を後押しします。ハラスメント規制の強化は、安心して働ける環境を整えます。同一労働同一賃金は、雇用形態によらず働きに見合った処遇を目指します。さらに、雇用という枠の外に目を向ければ、2024年に施行されたフリーランス新法も、雇用によらない働き方をする人の取引の公正さと環境を守るものです。これらはすべて、「一人ひとりが、納得して、その人らしく価値を生みながら働ける状態」をつくるための改正です。
裁量労働制が問うているのも、まさに同じことです。時間ではなく成果で働き、その自由と健康を両立させる——これは、確定法改正が目指す方向を、労働時間制度の側から突き詰めたものにほかなりません。つまり今年の確定法改正への対応は、それ自体が、裁量労働制を含む次の改正への「助走」になります。一つひとつを個別の義務として処理するのではなく、同じ方向を向いた一連の流れとして捉えることで、自社の打ち手に一貫性が生まれます。
本連載で繰り返し、雇用関連の制度や法改正は、企業に新たな義務を課す「負担」ではなく、人と組織の価値を高める「機会」として捉えるべきものだとお伝えしてきました。裁量労働制も例外ではありません。時間管理を緩めること自体がゴールなのではなく、社員が自分の専門性を最大限に発揮できる環境を、いかに健全に整えるか。そこに踏み込めるかどうかが、これからの企業の力の差になっていきます。
企業が考えるべき、最も重要な問い
最後に、この局面で企業が押さえておくべき点を整理します。
第一に、対応の時間軸を分けることです。確定法改正は今年中の対応が必要であり、裁量労働制は中期的な備えとして位置づける。両者を混同すると、足元の対応が後回しになりかねません。
第二に、今後の節目を把握しておくことです。裁量労働制については、夏に向けた政府の方針の取りまとめ、7月から8月に予定される実態調査、そして年末に向けた審議という流れがあります。この流れを知っておくだけで、自社が動くべき時機を見通せます。
そして最も重要なのは、制度の行方を追う以上に、自社にとっての問いを持つことです。すなわち、「自社は、社員の自律的な働き方をどこまで信頼し、どう支えるのか」という問いです。これは裁量労働制の対象になるかどうかという形式論を超えた、人材戦略そのものの問いです。
「信頼し、支える」とは、仕事を任せきりにすることではありません。働き方を委ねるからこそ、成果をどう評価し、過重な負担が生じていないかをどう把握し、いつでも相談できる関係をどう保つか、というマネジメントの設計が一段と重要になります。自由と支援はセットであり、その両輪を回せる組織だけが、自律的な働き方を本当の意味で生かせます。
裁量労働制の議論は、身構えて眺めれば、ただの規制の話に見えます。けれども、働き方を自由にし、人と企業の価値を高めるという本連載のテーマに引きつけて読み直せば、それは自社の働き方を設計し直す、またとない機会です。
今後の連載では、女性活躍推進法・障害者雇用促進法・ハラスメント規制・同一労働同一賃金・フリーランス新法など、現在重視されている新しい雇用関連の法令や政策について、同様の多様な働き方の広がりの視点でさらに取り上げていきます。
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第3回:副業・兼業制度の戦略的設計:人材流動化時代の競争優位構築
第4回:先進企業の人的資本経営実践例:労働基準法改正を成長エンジンに変える方法1
第5回:先進企業の人的資本経営実践例:労働基準法改正を成長エンジンに変える方法2
第6回:先進企業の人的資本経営実践例:労働基準法改正を成長エンジンに変える方法3
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第8回:労働基準法改正の「論点拡大・早期化」と高市内閣「労働時間規制緩和」:今後の流れと実務影響
第9回:2026年3月期の金融商品取引法改正、人的資本情報の拡充への対応 ~労働基準法大改正と統合した働き方の価値向上
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