労働基準法の大改正に代表されるように、日本の労働政策は今、大きな転換点を迎えています。本シリーズは「徹底解説!『働き方の自由化』への人材戦略と労働法制」と題し2027年以降の施行を見据えて議論が本格化している労働基準法の抜本的見直しについて、その方向性と企業への影響を詳しく解説してきました。
2027年に予定されている労働基準法の大改正は、「突然現れた」ものではありません。それは2015年から始まった10年にわたる政策の連続性と発展の帰結なのです。本稿では、この10年間の政策の流れを俯瞰(ふかん)し、現在議論されている改正の必然性と方向性を理解するための歴史的視座を提供します。「働き方を自由にする」という一貫した政策の方向性を理解することは、雇用関係の法令や政策に対応する全ての企業と働く方々にとって重要性が高いことだと思います。これにより、より深い視点で今後の変化への準備が可能となるでしょう。
2015年日本再興戦略:働き方の変革の政策的起点
現在進行中の労働基準法改正を理解するためには、まず2015年にさかのぼる必要があります。この年、安倍政権下で閣議決定された「日本再興戦略」改訂版は、アベノミクス「第三の矢」である成長戦略の中核に労働市場改革を据えました。副題に「未来への投資・生産性革命」と掲げられたこの政策文書において、「多様な働き方の実現」が初めて国家戦略として明示されました。
当時の日本は、少子高齢化による労働力人口の減少が顕在化し始めていました。女性やシニアの活躍推進が国家的課題となり、グローバル競争下での生産性向上が急務とされていました。こうした社会背景のもと、日本再興戦略2015改訂版では「時間や場所にとらわれない柔軟な働き方」という概念が登場し、「労働者が自律的に働く」という思想が初期的に示されました。
具体的な制度改革としては、フレックスタイム制の清算期間延長、裁量労働制の見直し、そして後に議論を呼ぶことになる高度プロフェッショナル制度の創設への布石が示されました。これらは当時、「労働時間法制の見直し」としてひとくくりにされていましたが、その根底には「働く時間と場所を労働者自身が選択できる」という発想がありました。2027年の労働基準法改正が目指す「働き方の自由化」の原型は、実にこの時点で形成されていたのです。

首相官邸「日本再興戦略」改訂2015(2015年6月) https://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/
首相官邸「働き方改革実行計画」(2017年3月) https://www.kantei.go.jp/jp/headline/pdf/20170328/01.pdf
2016〜2018年:働き方改革実行計画から働き方改革関連法へ
2015年の政策方針は、2016年以降、急速に具体化していきます。安倍政権は2016年8月の内閣改造で働き方改革担当大臣を新設し、同年9月には首相自らが議長を務める「働き方改革実現会議」を発足させました。これは日本の労働政策史上初めて、首相官邸主導で労働改革を議論する枠組みの誕生でした。
働き方改革実現会議では、同一労働同一賃金、長時間労働の是正、テレワーク・副業・兼業の推進、高齢者の就業促進など9つのテーマが設定されました。そして2017年3月、「働き方改革実行計画」が決定されます。この計画には「非正規という言葉を社会から一掃する」という宣言とともに、時間外労働の上限規制として月45時間・年360時間を原則とし、臨時的な特別事情がある場合でも年720時間、単月100時間未満、複数月平均80時間以内という具体的な数値目標が明記されました。
この政策の流れは2018年6月、「働き方改革関連法」の成立という形で結実します。労働基準法をはじめとする8本の法律を一括改正するこの法律は、戦後最大規模の労働法改革と位置づけられました。罰則付きの時間外労働上限規制の導入、年5日の年次有給休暇取得義務化、高度プロフェッショナル制度の創設、フレックスタイム制の清算期間延長、そして勤務間インターバル制度の努力義務化が盛り込まれました。
この時期の政策的意義として特筆すべきは、「働き方を変える」ことが単なる労働者保護の文脈を超え、「生産性向上」「イノベーション」と結びついたことです。働き方改革は企業の競争力強化の手段としても位置づけられるようになりました。しかし同時に、この段階では労働基準法の根本的な枠組み自体は、1947年制定時の「一定の場所で一定の仕事を行う前提の労働者保護「守り」の視点を基本とした構造」を維持していました。後の2024年に「40年に一度の大改正」が議論されることになるのは、この枠組みの限界が認識されたからであると言えます。本連載で今までに解説した文脈につながっていきます。
2019〜2021年:働き方改革関連法とコロナ流行、人的資本経営の潮流
2019年4月、働き方改革関連法が大企業向けに施行されました。時間外労働上限規制、年5日有給取得義務化、高度プロフェッショナル制度、フレックスタイム制拡充、勤務間インターバル努力義務が一斉にスタートし、2020年4月には同一労働同一賃金と中小企業への上限規制適用も始まりました。
その後の2020年、予期せぬ事態が働き方を劇的に変えることになります。新型コロナウイルスの感染拡大です。緊急事態宣言下でテレワーク実施率は急上昇し、東京都では約半数の企業がテレワークを実施するに至りました。「時間や場所にとらわれない働き方」は、政策的理念から一夜にして現実となったのです。コロナ禍は図らずも、2015年以降の政策が目指していた方向性を一気に加速させる結果となりました。
同じ2020年、もうひとつの重要な政策転換が起きています。経済産業省が「人材版伊藤レポート」を公表したのです。座長の伊藤邦雄一橋大学名誉教授が提唱したこのレポートは、人材を「コスト」ではなく「資本」として捉え、経営戦略と人材戦略の連動を求めました。従業員エンゲージメント、リスキル・学び直し、「時間や場所にとらわれない働き方」が、人的資本経営の構成要素として明確に位置づけられたのです。働き方改革と人的資本経営という二つの政策潮流が、ここで初めて接続されました。
副業・兼業の推進もこの時期に本格化しました。2018年にモデル就業規則から副業禁止規定が削除され、2020年には「副業・兼業の促進に関するガイドライン」(*1)が大幅改定されました。複数事業場での労働時間通算の煩雑さを解消する「管理モデル」が導入され、「一社専属」から「複業人材」へのパラダイムシフトの萌芽(ほうが)が見え始めました。これは2027年労働基準法改正で検討される「一社専属的拘束からの解放」の先駆けとなる動きでした。

2022〜2024年:人的資本情報開示と政策統合の進展
2022年は、人的資本経営が制度として確立した年として記憶されるでしょう。5月には「人材版伊藤レポート2.0」(*2)が公表され、「どう実践に移すか」という具体的取組が示されました。8月には「人的資本経営コンソーシアム」が設立され、同月末には内閣官房から「人的資本可視化指針」(*3)が公表されました。7分野19項目の開示推奨項目が示され、人材戦略の「独自性」と「比較可能性」のバランスを重視した開示の枠組みが整えられたのです。
そして2023年、有価証券報告書における人的資本情報の開示が義務化されました。上場企業約4,000社は、サステナビリティ記載欄に人材育成方針・社内環境整備方針を記載し、女性管理職比率・男性育児休業取得率・男女間賃金格差の3指標を開示することが求められるようになりました。人材戦略はサステナビリティ情報として位置づけられ、投資家からの企業評価に直結するようになったのです。2015年以来の「働き方を変える」という政策は、ここで「開示を通じた市場からの規律づけ」という新たな推進力を得ました。
2023年以降、労働基準法改正議論が本格始動します。厚生労働省に「新しい時代の働き方に関する研究会」が置かれ、多くの検討が行われました。その後、具体的な改正論点の議論を行う場として、2024年からは「労働基準関係法制研究会」が設置されました。「40年に一度の大改正」という位置づけのもと、23以上の改正論点が整理されました。

2025〜2027年:労働基準法大改正と働き方の自由化のさらなる充実へ
労働基準関係法制研究会報告書の改正論点には、4つのまとまりが見られます。本連載で解説してきたとおりです。
第一に「多様な働き方の推進」として、事業場概念の見直し、副業・兼業の割増賃金ルールの見直し、家事使用人への労働基準法適用、つながらない権利などが挙げられています。
第二に「労働時間法制の見直し」として、労働時間情報の開示義務化、連続勤務の制限(14日以上の連勤禁止)、勤務間インターバル制度の導入促進、法定休日の特定、週44時間特例の撤廃などが検討されています。
第三に「労使コミュニケーションの深化」として過半数代表制の改善が、第四に「働き方のIT戦略」としてデジタル化に対応した制度整備が論点となっています。

2025年10月に発足した高市内閣は、この議論にさらなる方向性を加えました。高市首相は厚生労働大臣に対し、「心身の健康維持と従業者の選択を前提にした労働時間規制の緩和の検討」を指示しました。これにより、当初「中長期の課題」とされていた労働時間上限規制そのものの見直しや裁量労働制の拡大といった論点が、前倒しで検討対象に加わることになりました。2026年夏の閣議決定に向けて、議論は加速しています。
2027年以降に予定される労働基準法改正は、戦後の労働法制の根本的な価値転換を意味します。それは「労働者保護」という消極的な観点から、「働く人と企業の双方が価値創造に集中できる環境の構築」という積極的な観点への転換です。働き方の自由化が人的資本経営の基盤となり、企業の競争力と労働者のウェルビーイングが両立する働き方の変革が目指されていると言えるのです。
結論:10年の政策連続性が示す「働き方の自由化」の必然性
2015年から2027年に至る10年の政策を俯瞰すると、一貫した方向性が見えてきます。それは「働き方を自由にする」という方向性です。時間的拘束からの解放(労働時間法制の見直し)、場所的拘束からの解放(テレワーク、事業場概念の見直し)、一社専属的拘束からの解放(副業・兼業の推進)という三つの軸で、政策は着実に進展してきました。
この流れは、政権交代やコロナ禍といった社会変化を経ても継続しており、不可逆的なものとなっています。2027年労働基準法改正は「突然の変化」ではなく「10年の帰結」であり、その方向性は今後も継続・深化していくでしょう。企業がこの政策の流れを理解した上で、自社の人材戦略を先行的に設計することは、単なるコンプライアンス対応を超えた競争優位の源泉となっていくものと思います。

本連載では引き続き、この政策の流れと実務対応の接続点を解説してまいります。「働き方の自由化」という大きな潮流の中で、人的資本経営と連動した戦略的取り組みを進めていくことがこれからの企業経営に求められています。そして、働く方々においても、働き方の変革の潮流を踏まえた、自由で自律的な働き方、キャリアや働き方の自己決定の視野が求められているのです。
*1 厚生労働省「副業・兼業の促進に関するガイドライン」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000192188.html
*2 経済産業省「人材版伊藤レポート2.0」を取りまとめました
https://www.meti.go.jp/press/2022/05/20220513001/20220513001.html
*3 内閣官房「人的資本可視化指針」
https://www.cas.go.jp/jp/houdou/pdf/20220830shiryou1.pdf
<関連コラム>
第1回:2027年労働基準法改正:規制対応から戦略創造への大転換
第2回:2027年労働基準法大改正の全体像:企業が知るべき23以上の改正と4つの変革ポイント
第3回:副業・兼業制度の戦略的設計:人材流動化時代の競争優位構築
第4回:先進企業の人的資本経営実践例:労働基準法改正を成長エンジンに変える方法1
第5回:先進企業の人的資本経営実践例:労働基準法改正を成長エンジンに変える方法2
第6回:先進企業の人的資本経営実践例:労働基準法改正を成長エンジンに変える方法3
第7回:2030年の組織と働き方:労働基準法改正がもたらす構造変革への準備
第8回:労働基準法改正の「論点拡大・早期化」と高市内閣「労働時間規制緩和」:今後の流れと実務影響
第9回:2026年3月期の金融商品取引法改正、人的資本情報の拡充への対応 ~労働基準法大改正と統合した働き方の価値向上
第10回:働き方改革・人的資本経営・労働基準法改正、10年の働き方変革の流れ総解説~2015年日本再興戦略から2027年以降の労働基準法改正へ~ ★今回



