今回取り上げる事例について
本稿では、労働基準法改正への本質的な対応において、育成と働き方の変革がいかに不可分であるかを示す具体例として、セガサミーホールディングスの取り組みを取り上げます。
同社は2018年にグループ横断型の教育機関「セガサミーカレッジ」を設立し、6年間で延べ約6万人が参加、年間200本以上のコンテンツを提供するまでに拡張してきました。設立の背景には、エンタテインメントという「人の感情を揺さぶることを事業とする」業態において、人が最重要の競争優位の源泉であるという創業来の確信があります。「人材の材は財産の財だ」という創業者会長の言葉は、経営哲学として組織に根づいており、「人的資本経営」という言葉が政策的に注目される以前から、この考え方のもとで実践が積み重ねられてきました。
さらに近年、キャリア自律支援として外部の研修サービス「みらRe-skilling」を活用し、社員が自身のWill・Can・Mustを整理してキャリアの方向性を言語化するプログラムを導入しています。20代・30代向けと40代以上向けの2コースを設け、手挙げ制での募集という形で実施されました。
この取り組みは「育成」の文脈に属するものですし、この事例は、2027年以降の労働基準法改正を予期して行われたわけではないと考えられます。「人は財産である」という創業者の考えのもと積み重ねられた実践が、結果として、法改正が目指す「自由な働き方」の先行事例となっています。今回は、労働基準法改正への本質的な対応として、人的資本経営でも言及される、「育成」と「働き方」整備が一体として必要であることを捉えていきます。
※なお、事例情報はみらいワークス総合研究所が2024年に取材した事実に基づきますが、特に労働基準法改正との制度的なつながりの記載等は筆者の解釈に基づくものですのでご留意ください。
事例の詳細はこちら https://mirai-works.co.jp/mwri/interview/interview-reskilling/4658/

そもそも、労働基準法大改正とは何を変えようとしているのか
2027年の施行に向けて、労働基準法の抜本的な改正が進んでいます。「40年に一度の大改正」と位置づけられるこの改正は、単なる法令のルール整備ではありません。その根本的な方向性は一言でいえば、「働くことをより自由にする」ことです。時間的・場所的・一社専属的な拘束をなくし、個人と企業の双方にとって価値創造に集中できる環境を整備する、という積極的な変革です。
この改正は、2017年以降の雇用政策の流れの第三段階として位置づけることができます。第一段階の働き方改革(2017年〜)では、過重労働の是正が中心でした。時間外労働の上限規制、有給休暇取得の義務化、同一労働同一賃金の推進など、「これ以上働かせてはいけない」「不公平な処遇を是正する」という保護法的ルールが次々と導入されました。第二段階の人的資本経営(2022年〜)では、育成・評価・配置といった人事施策を「戦略」として設計し直す動きが本格化しました。経済産業省の「人材版伊藤レポート」や人的資本情報開示の義務化が、人材を「コスト」ではなく「価値創造の源泉」として位置づけることを企業に求め、人材戦略と経営戦略の連動が主要テーマとなりました。

そして今回の第三段階である労働基準法大改正は、その人材戦略を労務管理の水準まで一貫させ、「働き方そのものを変える」ことを法制度として後押しするものです。改正の論点は大きく4つに整理されます。①多様な働き方の推進(副業・兼業促進、テレワーク推進、事業場概念の見直し等)、②労働時間法制の見直し(労働時間の開示、フレックスタイム制の柔軟化、勤務間インターバルの義務化、連続勤務の制限等)、③労使コミュニケーションの深化(過半数代表制の改善等)、④働き方のIT戦略の実現(労働時間・勤務実態の情報基盤の整備)です。これらは相互に連動しており、部分的な対応では効果が限定されるという性格を持っています。
この改正が人的資本経営とどうつながるのかは、価値創造の連鎖として理解する必要があります。多様な働き方が実現すれば、これまで活用できていなかった人材層の獲得と定着が進み、個人の能力が最大化され、イノベーション創出と事業成長につながる。この流れの起点を法制度として整備しようとするのが、今回の改正の本質です。つまり、法改正は「守るべき義務」ではなく、「人材戦略を加速させる器」として機能するものだという認識が、企業にはまず求められています。

その上で重要な点として「働き方の自由化」が制度的に整備されても、その中身、つまり「自律的にキャリアを設計できる個人」と「役割が明確に可視化された組織」が整っていなければ、制度の器は空のままです。副業の解禁も、裁量労働制の拡大も、個人のキャリアの自律性と職種の言語化なしには形骸化します。法改正が真に機能するためには、育成と組織設計が先行して進められていなければなりません。この「育成と法改正の一体性」は企業規模問わずあらゆる企業で必要であると考えられます。
従来の法令対応の議論では、「改正内容をいかに正確に把握し、就業規則をどう改定するか」という守りの視点が前面に出がちです。しかし今回の労基法改正は、そのような対応で完結するものではありません。「働き方を自由にする」という方向性は、企業の人材戦略の組み立て方そのものを問い直すことを求めています。改正に対応するための準備として育成や組織設計を見直すのではなく、育成と組織設計の見直しを進めることで初めて、改正の恩恵を受け取れる体制が整う。この順序の理解が、今後の人事・労務担当者に求められる視点の転換です。
「育成の話」として片づけてはいけない理由
育成と働き方改革は、従来、別々の文脈で論じられることが一般的でした。育成は「どのようなスキルを習得させるか」という内容の問題として、働き方改革は「労働時間をどう管理するか」という制度の問題として、それぞれ独立して扱われてきたのです。人事部門が育成計画を立て、労務部門が労働時間管理の制度改定を行う。この分業体制が多くの企業で当然のものとして定着しています。
しかしこの切り離しこそが、多くの企業において「育成の成果が働き方の変革につながらない」「制度変更が人材の主体性と結びつかない」という乖離(かいり)を生んできた原因です。eラーニングで学んでも日々の業務の進め方は変わらない、残業削減の規制が入っても仕事量の見直しが伴わず結局サービス残業が横行する、こうした状況は、制度と育成が連動していないことの直接的な帰結です。
労働基準法改正後の世界では、この乖離は一層問題になります。副業を解禁しても個人が自分のキャリアの方向性を持っていなければ、副業を生かす動機が生まれません。裁量労働制を導入しても職種と成果の言語化ができていなければ、時間管理が失われただけで生産性は上がりません。法的な「器」の変更が、人材の実質的な変革に結びつかないという問題が、制度先行の企業で起きることは容易に想像できます。
セガサミーの事例が示しているのは、この乖離を意図的に埋めてきた実践の姿です。そしてこれは、特定の企業に固有の「優れた取り組み」として称賛されるだけのものではなく、労働基準法改正が目指す変革を実質化するためにあらゆる企業が向き合わなければならない課題として受け取るべきものだと思います。
もうひとつ付け加えておくべき点として、育成と働き方を切り離して論じることの問題は、実は「人的資本経営」という概念が登場する以前から存在していました。しかし、人的資本経営の議論が普及するにつれて、「育成への投資が企業価値に直結する」という認識は広がりました。それでもなお、「その育成が働き方の設計とつながっているか」という問いは、まだ十分に共有されていません。育成によってキャリアの自律性が高まった社員が、その自律性を発揮できる働き方を選択できるような制度的・文化的環境が整っているかどうかで決まると言えます。育成側の準備が必要であり、働き方の整備も必要なのだと言えます。

Will・Can・Mustが暴いた、ライフステージとキャリアステージの空白
セガサミーグループでのキャリア自律支援プログラムは手挙げ制で募集されましたが、担当者の予想に反して、20代・30代よりも40代以上の参加者が多かったといいます。その背景には、「どこかにたどり着きたい」「変化の時代に自分の中にコンパスを作らなければいけない」という健全な危機感があったと語られています。ワークショップに参加して「これまでの研修にはない量のチャット投稿があった」という報告は、それだけ多くの参加者がため込んでいた言語化されていない思いや問いを持っていたことを示しています。「同じ悩みやフェーズにある仲間とつながれたときの高揚感や安堵(あんど)感」という表現も印象的です。キャリアの問いは、個人の内側で孤独に抱えられていたのです。
これをライフステージとキャリアステージの問題として整理すれば、次のように言えます。ライフステージとしては育児・介護・健康などの個人的な状況が変化する時期であり、キャリアステージとしては専門性の深化か管理職化かという組織的な分岐点でもある。この二重の変化が重なる40代において、「自分はどう働きたいのか」を会社が個人と一緒に考える場を設けることは、単なる福祉的な配慮ではなく、人材戦略上の要諦です。
労働基準法改正が目指す「働き方の自由化」は、個人が自律的にキャリアを選択し、その実現に向けて働き方を自ら設計できることを前提としています。しかしその前提が成立するのは、個人が自分のWillとCanを認識しており、ありたい姿に向かって考える習慣と機会を持っているときだけです。その基盤がなければ、制度の自由度をいくら高めても、個人はその自由を使いこなせません。働き方の自律性は、キャリアの自律性なしには成立しないのです。

育成の深まりが「副業」の欲求を生む、という構造
キャリア自律支援プログラムを受講した社員からは、その後、「社内副業・社内兼業のような仕組みを作ってほしい」「キャリアチェンジをした先輩たちの体験談を聞きたい」という声が次々に上がったといいます。担当者はこれを「欲求段階が上がっていった結果」と表現しています。自分のありたい姿を認識したからこそ、それを実現するための具体的な手段や機会を求めるようになった、ということです。
これは重要な構造的示唆を含んでいます。育成プログラムによって個人がキャリアを「見える化」し、強みと弱みを認識し、ありたい姿に向かって考え始めると、組織内の枠を越えた経験への欲求が自然に生まれます。副業・兼業への要望は、「外から与えられる制度」として生まれたのではなく、「育成を通じたキャリア自律の深まり」の帰結として内側から湧き出てきたのです。
これは労働基準法改正の重要な論点であり副業の制度的な推進とまさに接続します。現行制度では副業先の労働時間も通算して残業代を計算しなければならないという煩雑さが企業の副業解禁を阻んでいますが、改正後はその障壁が取り除かれる方向で検討が進んでいます。しかし、制度的な障壁が取り除かれたとしても、それだけでは副業は普及しません。個人が「なぜ越境したいのか」「どのような経験を通じて何を得たいのか」を自分の言葉で語れる状態になっていることが、副業活用の前提です。

育成と法改正を「一体のもの」として進める必然性
今回取り上げたセガサミーの取り組みから浮かび上がる論点を整理すると、次のような構造が見えてきます。まずキャリア自律の育成を進めることで、個人のWillが深まり、越境・副業の欲求が自然に生まれます。次に職種と役割の言語化が進むことで、時間でなく成果で評価される働き方の制度的基盤が整います。そしてチームとしての学習文化が育つことで、働き方の自由度が高まっても組織の一体性は保てます。これらはいずれも、労働基準法改正が整備しようとしている「器」の中身にあたるものだと思います。
法制度の変更は「器の形を変える」ことです。しかしその器に意味ある内容が満たされるかどうかは、育成と組織設計の質にかかっています。一方で、逆の順序で考えると次のような課題が生じる可能性があります。「育成をせずに副業解禁だけ進めても、個人はその自由を活用しきれない。」「役割の言語化が不十分なまま裁量労働制を導入しても、成果の定義が曖昧なまま運用が形骸化するリスクがある。」「一時的な意識変化に留まってしまい、組織全体に根づくような本質的な変革には至らない恐れがある。」というこうした事態を避けるためにも、制度という「器」の変更と、それを生かすための「育成」は、同時並行で設計することが望ましいと言えます 。
育成プログラムを設計するとき、「この育成の成果として個人のキャリア自律が進んだとき、組織はそれを受け止める制度的環境を持っているか」、制度設計をするとき、「この制度を有効に活用できる個人と組織の状態を作るための育成が、対応する形で設計されているか」を確認し、両者を同時並行で進めていく姿勢が求められると言えます。
育成と制度整備を「別部署の別課題」として分断して扱うのではなく、「働き方の自由化を実質化するための一体の変革」として人材戦略を組み直すことが、今この時点ですべての企業に求められているのではないでしょうか。労基法改正という器の変化は、企業の側に「中身を整える」準備を強く要求しているものだと思います。
<関連コラム>
第1回:2027年労働基準法改正:規制対応から戦略創造への大転換
第2回:2027年労働基準法大改正の全体像:企業が知るべき23以上の改正と4つの変革ポイント
第3回:副業・兼業制度の戦略的設計:人材流動化時代の競争優位構築
第4回:先進企業の人的資本経営実践例:労働基準法改正を成長エンジンに変える方法1
第5回:先進企業の人的資本経営実践例:労働基準法改正を成長エンジンに変える方法2
第6回:先進企業の人的資本経営実践例:労働基準法改正を成長エンジンに変える方法3
第7回:2030年の組織と働き方:労働基準法改正がもたらす構造変革への準備
第8回:労働基準法改正の「論点拡大・早期化」と高市内閣「労働時間規制緩和」:今後の流れと実務影響
第9回:2026年3月期の金融商品取引法改正、人的資本情報の拡充への対応 ~労働基準法大改正と統合した働き方の価値向上
第10回:働き方改革・人的資本経営・労働基準法改正、10年の働き方変革の流れ総解説~2015年日本再興戦略から2027年以降の労働基準法改正へ~
第11回:労働基準法改正対応の本質的対応「育成と働き方」の一体設計 …セガサミーホールディングスの事例から読む人材戦略 ★今回



