関西大学システム理工学部機械工学科教授 工学博士
大阪大学理学部を卒業後、東京大学大学院で地球惑星物理学を専攻。神奈川県産業技術総合研究所での研究員を経て、慶應義塾大学にて工学の博士号を取得。2015年に関西大学の准教授に着任し、2018年より教授として活躍。生物の優れた機能から着想を得て新しい技術を生み出す「バイオミメティクス」研究の第一線で活躍。中でも、セミやトンボの羽が持つナノ構造から着想を得て開発した「ナノスパイク」技術は、薬剤を使わずにウイルスや細菌の増殖を抑えることができる画期的な物理的殺菌技術として注目を集めている。10年間の研究開発を経て、2025年に経営参画型インターンを通じて本格的な事業化がスタート。
宮崎一(みやざきはじめ)氏
株式会社ナノスパイクCEO
NTTコミュニケーションズ株式会社にて、日本のインターネットビジネスの黎明期から新規事業開発の第一線で活躍。NTT在籍中には、インターネットサービスプロバイダー「OCN」の新サービスの立ち上げを主導。その後もAIスタートアップでの事業開発、M&Aやスタートアップ投資など数多く手がけ、これまでに12社の企業で取締役を歴任するなど、経営者として豊富な経験を持つ。活躍の場は国内にとどまらず、ミャンマー、カンボジアではNTTコミュニケーションズの現地支店を設立し、支店長に就任。日本帰国後は海底ケーブルの新会社をシンガポールで設立するなど、グローバルにビジネスを創出。2025年、みらいワークスが運営する経営人材マッチングプログラム(*1)を通じて、株式会社ナノスパイクのCEOとして参画。大学時代にナノテクの研究をしていた経験を活かし、研究者と経営者の橋渡し役として事業化を推進している。
ナノスパイク
規則的なナノ構造体 NanoSpike®
1つの構造で多機能(抗微生物性、防汚、撥水、摩擦低減、低反射)を発現できる構造体。
物理的な作用により最近を死滅させるため、試薬を使えない場所への適用も想定。
ウイルスによる感染を抑えることも可能で、抗ウイルス・抗菌を併せ持つ素材の提供も可能。
https://nano-koukin.jp/
「セミの羽に止まった菌は、瞬く間に死んでしまう」——。 オーストラリアで発見されたこの驚くべき現象が、日本の感染症対策を大きく変えようとしています 。
関西大学システム理工学部の伊藤健教授が開発した「ナノスパイク技術」は、まさにこのセミの羽を模倣したものです。薬剤で菌を消毒するのではなく、目に見えない微細な「トゲ」で菌を物理的に破壊するという、常識破りのテクノロジーです 。
このエピソードでは、研究室で生まれたこの画期的なシーズが、いかにして経営のプロである宮崎一CEOと出会い、そしてビジネスという新たな戦場へ飛び立ったのか、その「研究と経営の共創」の軌跡を追います。
セミの羽から着想を得た研究開発の原点
オーストラリアの研究者が発見した現象
この技術の起源は、2012年のオーストラリアでの「偶然の発見」にあります。当初は菌が付着せず滑り落ちる表面構造についての研究でしたが、セミの羽で実験を行ったところ、予想外にも「菌が死滅する」現象が確認されたのです 。 原因は、羽の表面に並ぶ微細な突起でした。これが剣山のように作用し、薬剤を使わずに物理的な力だけで菌を破壊していたことが判明したのです。
なぜセミの羽なのか?トンボとの違い
実は、トゲの高さがふぞろいな「トンボの羽」の方が、力が一点に集中するため、より硬い菌も倒せる強力な殺菌力を持っていることが判明しています。しかし、産業応用を考える場合、セミの羽には2つの利点があります。
まず、セミの羽は規則性があるため、人工的に作りやすいという点。次に、研究では「どの方向から菌がついても死滅させられる」ことが重要であるという点です。その観点から、研究目的によってはセミの羽が適している場合があるのです。
研究開始のきっかけと10年間の歩み
伊藤教授は、オーストラリアからの論文を目にした時、かつて大学院生時代に微生物を扱っていた経験から「そんな簡単に微生物が死ぬとは思っていなかった」と当初は半信半疑だったといいます。
しかし、自身で微細構造を作る技術を持っていた教授が、試しに構造を再現して菌をまいてみたところ、実際に菌が「瞬く間に死んでしまう」ことが確認されたのです。この衝撃的な実験結果が決定打となり、セミの羽の構造をもとにしたナノスパイク技術の研究をスタートさせることとなりました。そして2025年、研究開始から10年目を迎えています。
物理的に菌を殺すナノスパイク技術のメカニズム
ナノスパイク技術とは
ナノスパイクとは、その名の通り「ナノ」レベルの「スパイク(トゲ)」構造を持つ技術です。
「ナノ」とは、10のマイナス9乗メートル。私たちの身の回りにあるウイルスや微生物は、だいたい100ナノメートルから10マイクロメートル程度のサイズで、これは髪の毛の太さの1000分の1に相当します。つまり、目視はもちろん、普通の顕微鏡でも見ることができないレベルです。
特殊な電子顕微鏡を使わないと観察できない世界です。
髪の毛の1000分の1のトゲが菌を死滅させる仕組み
この技術が特にターゲットとしている細菌のサイズは、約1マイクロメートルです。菌のサイズよりもさらに微細な「トゲ(ナノスパイク)」を物質の表面に配置することで、菌がそのトゲに物理的に破壊されて死んでしまいます。
微生物にとって、このような小さなサイズの構造は致命的な障害となるのです。
薬剤を使わない物理的殺菌の可能性
従来の殺菌・抗菌技術は、化学的な効果によって菌を殺すことが当たり前でした。しかし、ナノスパイク技術は薬剤を使わずに、物理的な構造だけでウイルスや細菌の増殖を抑えることができます。
このような作用を人工材で実現することによって、世の中に新しい抗菌・抗ウイルス剤を提供できるのではないかと、伊藤教授は考えています。感染症対策の画期的な技術として、大きな可能性を秘めています。
経営参画型インターンが実現した事業化のきっかけ
世界を変える技術になる可能性
技術の事業化を加速させたのは、株式会社ナノスパイクCEO・宮崎一氏の参画でした。宮崎氏は、伊藤教授からナノスパイクの話を聞いた際、「これはもしかしたら世界を変える技術になるのでは」と感じたといいます。
数年前のコロナウイルスのパンデミックで、21世紀の現在でも医療技術を持ってしても感染症に対応しきれない現実を目の当たりにした宮崎氏は、「そもそも感染症が起こらないような世界にするために、この技術が役に立つ」と考えました。
IT系からナノテクへの回帰
宮崎氏は長年IT業界に身を置いてきましたが、実は20数年前の大学時代にナノテクノロジーを研究していたというバックグラウンドを持っていました。
「得意分野ではないかも」という不安もありましたが、伊藤教授の話を聞いてかつての記憶と知識がリンクし、「これはいけるんじゃないか」と確信。
2025年にみらいワークスが運営する経営人材マッチングプログラム(*1)を通じて、株式会社ナノスパイクのCEOとして参画しています。

研究者と経営者の明確な役割分担
研究者が経営者に期待すること
伊藤教授はずっと研究畑を歩いてきたため、会社経営や資金管理の経験がありませんでした。そのため、大企業やスタートアップで修羅場をくぐり抜けてきた宮崎氏の経験に期待を寄せ、「会社設立から全て任せたい」というスタンスをとっています。
資金調達は経営者に任せる
特に、伊藤教授が苦手と語るのは「お金を取ってくるとか、人と話す」こと。例えば、ベンチャーキャピタルから資金を引っ張る部分などは、「完全に宮崎さんにお任せしたい」と考えています。
役割分担の重要性
伊藤教授は技術開発と研究に専念し、宮崎氏は会社運営と資金調達を担う。この明確な役割分担が、事業化を成功に導く重要な要素となっています。
技術と顧客課題のすり合わせで市場ニーズを探る
どの分野で適用するか?医療?日用品?宇宙?
事業開始当初、まず議論したのは「この技術をどういう分野で適用していくか」でした。
医療、日用品、宇宙など、さまざまな分野で応用の可能性があるものの、どの分野にフォーカスするかは、「まずやってみないと分からない」というのが現実です。
そのため、まずはさまざまな産業のパートナーと共に取り組むことで、勝ち筋や最短距離で生かせる場所を模索するという戦略をとっています。
経営者の参画による変化
宮崎氏の参画による大きな変化のひとつが、計画が数値として出てきたことです。
「何年後にはこれぐらいの売り上げが上がる」「そのために必要な研究契約件数は」といった具体的な目標が設定され、プロジェクトの社会展開が具現化されたと伊藤教授は語ります。
研究者と経営者の視点の違い
宮崎氏は当初、伊藤教授の資料を見て「難しい論文や技術解説はあるが、商流やビジネスモデルが一切書かれていない」ことに驚いたといいます。
長年の経験から、ビジネスを行うには「どこでもうけるか(プロフィットポイント)」を常に意識する必要があると考える宮崎氏。そこから半年間かけて徹底的に議論し、特許活用やアライアンス戦略を含めたビジネスモデルを資料化していきました。
この視点のすり合わせこそが、大学発ベンチャーには不可欠なプロセスだったのです。
展示会で大手企業と契約!大学発スタートアップの強みとは
万博出展を目指して会社設立
会社設立の最初のマイルストーンは「大阪・関西万博への出展」でした。 出展には法人格が必要だったため、宮崎氏と出会ってすぐに急ピッチで登記を進めました。
当時、万博の出展内容を東京で発表する展示会イベントが開催されており、株式会社ナノスパイクもブースを出展。そこで、とある大手企業との契約につながる出来事が起こります。
展示会での契約締結
展示会では、伊藤教授が自らブースで技術説明を行っていました。そこでナノスパイク技術に興味を持った企業の責任者と出会い、具体的な製品化に向けた議論が白熱。会社設立という絶妙なタイミングも重なり、そのまま契約締結に至りました。
技術的な深い説明は伊藤教授が行い、契約やビジネスの話は宮崎氏がまとめる。まさに二人の連携が成果を生んだ瞬間でした。
大学発スタートアップの強み:エビデンスと信頼性
大学発スタートアップの強みは、何と言ってもエビデンスと信頼性です。ナノスパイクのような未知の技術に対しては、疑問を持たれることが多いといいます。
しかし、伊藤教授には10年間蓄積してきたエビデンスと、世界的に著名なジャーナルへの掲載実績があります。この積み上げてきた信頼性こそが、大学発スタートアップの大きな強みとなっています。
まとめ
セミの羽から着想を得たナノスパイク技術は、物理的に菌を殺す画期的な技術として、感染症対策に新たな可能性をもたらしています。
関西大学の伊藤健教授が10年間研究を続けてきたこの技術は、経営のプロである宮崎一CEOの参画により、事業化の道を歩み始めました。
明確な役割分担により、研究者は技術開発に、経営者は事業運営に専念できる体制が整い、展示会での大手企業との契約締結という成果も得られています。大学発スタートアップならではのエビデンスと信頼性を武器に、今後さらなる事業展開が期待されます。
*1 国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の2024年度「大学発スタートアップにおける経営人材確保支援事業」に採択
https://mirai-works.co.jp/news/news11801/


