常務執行役員 人事担当(CHRO)
大八木 勢一 氏
1992年株式会社 日本交通公社入社。法人営業、支店長、本社営業企画、人事部門を経て2021年 株式会社JTBデータサービス代表取締役 社長執行役員就任。前職では、障害者の「活躍」に着目し、自社の障害者が能動的に関わる、障害者を対象とした人材紹介事業や定着支援、メタバースによる就職フェア、サテライトオフィス等の事業を手掛ける。
2024年4月より現職。JTBグループの人財をダイナミックに変革するため長期ビジョンを見据えた人財戦略の検討を開始。世界を舞台にOne JTB Values(※)を実現する人財集団を目指す。
(※)グループ経営ビジョンの実現、経営方針の具現化、お客様に約束すること(ブランド・プロミス)の体現に向けて、グループの全ての社員が大切にし、日々の判断・行動の基準となる「共通の価値観」。
人的資本経営の本質を理解し、意義あるお取り組みを進める企業の担当者の方に、基本的な考え方や施策をかたちにするまでのエピソードについてお聞きする本企画。今回は、弊社・岡本が株式会社JTBの常務執行役員 人事担当(CHRO)大八木 勢一様と対談させていただいた。
“人に尽くす”DNAが人的資本経営の素地に
(岡本)本日はよろしくお願いいたします。改めまして、貴社の事業概要からお聞かせいただけますでしょうか。
(大八木)一般的には“旅行業”と認識されていますが、そこに固執することなく進化を続けている企業です。例えば、従来の“旅”の価値の中心にある“人との交流”を基軸とした交流創造事業を推進するのも、その表れのひとつ。人と人、人と地域、人と組織の出会いを、サステナブルに実現するために、地域軸と企業軸でソリューションビジネスの拡大を図っています。
(岡本)交流創造の“交流”という言葉に込められた思いはどのようなものでしょうか。
(大八木)交流は、三つの価値を生みだすと考えています。ひとつは、“人を満たす”、二つ目は“地球の豊かさを守る”、そして三つ目に、“社会を発展させる”が挙げられます。それぞれに価値があるので、その交流という価値を実現するために、われわれの持っている“つなぐ力”をビジネスとして展開しています。
(岡本)“交流”という言葉をビジネスの軸に置いている企業は、とても珍しい印象です。
(大八木)そうですね。“交流”という言葉自体に、少しふわっとした印象がありますからね。しかし私たちは、モノを売ってきたわけではなく、そもそも旅という無形価値の提供をなりわいとしてきたので、この進化はごく自然なものと思っています。“交流”に注力するというと、非営利事業か自治体の取り組みというイメージがあるかもしれませんが、われわれは旅行業を展開しながら、これまでも地域交流事業、地域活性化に注力してきました。元々、行政や非営利団体に近い思想、価値観、姿勢は、われわれのなかに以前から根づいていたのだと思います。
もちろん、営利は求めますが、“お客さまに喜んでいただいて利益を上げる”という姿勢がカルチャーとして根付いています。ですから、社員はみんな、人が良い。他の会社の方からは、「JTBさんがすごいのは、自分の会社にいる社員を褒めることだ」とおっしゃっていただきます。弊社の社員は、コミュニケーション能力も高いですし、人に尽くすというDNAを持っているのですね。まさに人的資本経営の基盤が昔からあったということです。
人的資本経営の基本中の基本は“現場”
(岡本)改めまして、貴社の人的資本経営に対する基本的な考え方を教えてください。
(大八木)弊社では、入社後1カ月間、JTBグループで働く社員としての基本的な知識・スキルを身につけてもらい、その後は現場に出て、お客さまや先輩から学んでもらうことにしています。当然、その後も年間を通して複数の研修はありますが、現業における教育体制がしっかり構築されていることが特徴です。
(岡本)“現場に任せている”ということは、教え方もあえて統一していないということですか。
(大八木)もちろん教育を受けた指導社員が年間を通してフォローしていきます。組織性やチーム性がとても強いので、その新入社員がどのような状態にあるか、現場においてもしっかりと周りが見てくれています。翌年には、その新入社員がメンターを担うこともよくあります。
弊社のビジネスモデルは、1人で仕事を全て完結できるものではありません。お客さまにアプローチをし、いただいた情報をしっかりと社内で共有したうえで企画・オペレーションをおこない、後々までフォローしていくという流れの中で、さまざまな部門が関わっていきます。したがって、その都度、その場でしっかり指導をしていくシステムが自動的にできあがっています。但し、個人によって伸びしろに違いがあることも事実です。
人事異動においても、弊社では新入社員から本社勤務というケースはなく、お客さまやステークホルダーの方々と正対をし、お客さまのことをしっかり理解してから本社で戦略業務を担ってもらうことが前提となっています。もちろん、専門知識が必要な部署はこの限りではありません。しかし、今後も同じで良いのかというと、そういうわけではありません。会社として、個々の力の何を強くしていくのかを明確にし、人づくり、組織づくりを進める必要があります。
今後は今まで以上に社員の意思や考え方、会社に対する思いを、しっかりと受け止め、それを実現していく会社だということを社員に対して示し、そのうえで、成果を出してくれる人財を多く育てていくために、必要な教育機会を提供するという流れが必要と考えています。
(岡本)会社として社員の思いに対し、どのように向き合っているのでしょうか。
(大八木)弊社のCEOは、年に1回、全国を回り社員に会い、面談します。私を含め他の役員も、同じように全国を回り、社員に会います。そこで社員と直接的なコミュニケーションをはかり、様々な声を聞き、彼らの思いや考えをくみとるように心がけています。
(岡本)JTBの人的資本経営の基本中の基本は“現場”ということなのですね。
(大八木)そうですね。それは、コロナ禍を経験して根付いたのかもしれません。当時はご存じの通り、旅行が消滅しました。そのときに社員の不安感をどのように払拭するのかが非常に大きな課題になっていました。正しい情報を誠実に伝えるために、そして社員の心身のケアのためにはじめた全国行脚が今も継続しているということです。人的資本経営を強化し大切にし始めたタイミングとコロナ禍はかなりリンクしていますね。
さらに、コロナ後にはグローバル化の波が一気に押し寄せてきて、戦う市場が日本だけを対象としたものではなく国際市場も視野に入れる必要が生じました。端的に言えば、これまでの海外ネットワークは、日本から渡航するお客さまをベースにした設計になっており、訪日インバウンドや海外から海外へ渡航されるお客さまにも、今まで以上に対応していく必要がでてきました。BtoC、BtoBも含めて対応していくことを考えたときに、今の日本を中心にした人財戦略では海外のスタンダードには追いつけませんし、人的資本経営的な観点からも見直すべきだと考えました。
(岡本)BtoBとBtoCでは違った戦い方になりますし、日本国内とグローバルでは違った人が必要ですが、ひとつの会社の中で多様な人材を育てることは難しい時代になってきています。その環境とJTBさんの人的基資本経営のスタンスはどのように関わってくるのでしょうか
(大八木)組織統合とともに視点を変えていきます。これまでは日本出発の起点で物事を捉えていましたが、組織の中でグローバル戦略を横ぐしにおくことで、物事をグローバル起点で捉えようと、思想と組織設計を検討し始めています。
人財については、今まで日本と海外でシナジーが生まれるような状況にはなっていませんでした。日本から海外へ、毎年50名程度が派遣されていますが、そもそもの発想がJTB起点にとどまっています。また海外にいる社員との交流も限定的です。今年から、人事にもグローバル専任担当者を外国人含めて複数配置しましたので、日本にいる外国籍の人たち、海外にいる外国籍の人たちと、日本人との人流をどのようにマッチングしていくか、今まさに議論しているところです。
時間と空間と組織にとらわれない働き方を目指す
(岡本)他にも人的資本経営を実現していくための具体的な施策があったら教えていただけますか。
(大八木)JTBグループが10年後、一体どのような働き方になっているのか、「時間」「空間」「組織」の三つの軸で、それぞれにとらわれない働き方を実現する必要性があると考えています。その世界観を踏まえたうえで、まず人財ポートフォリオを作り、それに合致した、それぞれの人財戦略を作っていくという流れです。その中のひとつに「グローバル人財戦略」がありますが、JTBグループにおけるグローバルを含めたタレントマネジメントという位置づけにして、全部で20程の施策を検討し実践を始めています。
(岡本)時間と空間と組織にとらわれない会社になっていくと、現在の働き方とは大きなギャップが生まれそうですね。
(大八木)現在、時間については、コアタイム制を用いている部署がほとんどです。空間は、テレワークが進んではいるものの、部署によってはかなりの濃淡があります。それぞれ進化させなければなりません。さらに問題は組織で、ここが一番難しいと考えています。それなりに歴史と伝統があるので、どうしてもピラミッド形成になっています。しかし、今後は組織の中で物事を完結するのではなく、海外も含めた社外の組織や人と連携していかなければ、ビジネスが成り立たなくなると考えています。そのためには、当然、外部の人たちと「共創」と「競争」をしていかなければならないので、そのために必要なスキルは何か、それを身につけるためにはどうするのかを、ストーリー化する必要があります。
(岡本)とても大きなトランスフォームが必要なイメージですが、具体的な施策について教えていただけますか。
(大八木)半年前から、社内でプロジェクトを組んで施策のアイデアを練っています。そこに外部の人、すなわちコンサルの方や全く異なる業界の経営者の方にも数名加わっていただき、定期的にモニタリングしながら議論しています。そのような中で、戦略作りのコントロールタワ一を一度退職したアルムナイ採用の方に担ってもらったことが、とても大きかったですね。
(岡本)それだけ御社は魅力的な会社ということですね。
(大八木)そうでありたいです。戻ってきてくれた社員は、外に出てずいぶん感覚が変わっていました。外の“当たり前”の感覚を持ち込んでくれます。またJTBとしてのDNAを持ったまま戻ってきてくれたことも、とても良かったですね。アルムナイ採用は今年から始めましたが、数十人の若手が戻ってきています。
(岡本)JTBという組織、考え方に対するエンゲージメントを持っていて、それが会社としての強さにつながっているということですね。
(大八木)旅行業界、さらには裾野を広げ、ツーリズム業界全体の底上げをする必要があると思っています。日本のツーリズム産業のポテンシャルはとても高いです。産業としてさらに認知され、ここで働く人たちへ貢献したいという思いがあります。そういった意味で、人的資本経営の実践を社内完結するだけでなく、旅行業界、産業全体に波及させていければと思います。
(岡本)社員の方々も、業界を何とかしていきたいという発想を持たれているのではないでしょうか。
(大八木)日本全体を盛り上げなければという使命感をもっている社員も多くいます。一方で、お客さまにとって何ができるのか、何が喜んでいただけるのか、常に目の前のお客さまのことを一番に考えている社員の方が、さらに多くいると感じています。
(岡本)“お客さまのために”という考えを強く持っているのは、そのような気質の方を採用するのか、社内でそのようなマインドセットが身についていくのかどちらでしょうか。
(大八木)恐らく、両方です。入り口としても、そのような方が多いことも間違いないと思いますが、提供しているものは、形のない旅行という商品ですからね。お客様にいかに喜んでいただけるかが重要ですし、喜んでいただけなければ次の契約にはつながりません。一方で、そこに重きを置きすぎると、ロジカルな専門スキルを身に着ける場面が減って育っていくというリスクはあります。そのバランスが重要だと思っています。
“JTBらしい人的資本経営とは何か?”を追求
(岡本)人的資本経営における、貴社の今後の展望についてお聞かせください。
(大八木)“JTBらしい人的資本経営とは何か?”を常に考えています。戦略は世の中の流れに合わせて作り込んでいますが、“本当にそれでいいか?”と繰り返し自問自答しています。10年後の会社のあるべき姿を考えた時に、今と同じほうが、結果的には良かったということもありえますし、とはいえ今のままの状態では、数十年後には企業として存在していない可能性もあります。やるべきことはしっかりとやっていきながら、何を残していくのかも同時に考えています。今は、グローバル企業の人的資本経営のイメージを頭の中に描き、アクションしてみようと施策を進めている段階です。
(岡本)欧米的な人的資本経営の考え方もありますが、日本は日本の文化に合った人的資本経営をどのように作り上げていくのか、そこにどのようなビジネスモデルや勝負どころを作るかがセットになっていると思います。
(大八木)おっしゃる通りです。新しいビジネスモデルを検討しながら、同時に仮説を立てて動いている感覚です。とにかく今は、何がどう変わるかわかりづらい時代ではありますから、変化に適合しながらスピード感を持って取り組んでいます。それぞれの国に適した人的資本経営が大切ですし、そのために私は社員の志や意志をしっかりと受け止めるところから始めています。