はじめに ── 何が決まり、何がまだ動くのか
2026年7月21日、骨太の方針2026(経済財政運営と改革の基本方針)と日本成長戦略が閣議決定されました。これにより、雇用政策の大きな方向性が政府として正式に確定しています。
ただし、ここで一つ重要な切り分けとして、確定したのは政策の「方向」であり、労働基準法の改正法案などは、今回の政策内容を元に決められていくということです。法案は2027年の通常国会での審議が見込まれており、骨太方針にも「夏以降の労働政策審議会において議論を行う」と明記されています。方向性は確定しているが、制度の最終形はまだ動きます。この大枠をまず理解することは重要なことです。しかしながら今回決定された政策内容を見ると、それは法令や制度の前提整理などではなく、企業の経営面に十分具体的な考え方の変更を迫るものでもあると言えます。今回はこの内容を捉えます。

今回の骨太方針と日本成長戦略は、従来の政策文書とは質的に異なっているということです。その根拠と意味は次のセクションで述べますが、本連載でこれまで繰り返しお伝えしてきた「自律的で多様な働き方の戦略的構築」が、今回ようやく公的文書の中で明確な形を取ったと読んでいます。
なお、今回の政策内容を先行事例や調査データも交えて詳しく解説するオンラインセミナーを、9月29日(火)11:00より、みらいワークス総合研究所で開催します。詳細は記事末のリンクよりご確認ください。
骨太方針2026・日本成長戦略で何が決まったのか
まず、確定した内容を実務レベルで確認します。
骨太方針2026は、雇用・働き方に関して主に次のことを述べています。「AIを前提として社会や産業、教育の在り方を再構築する時代に入っている」という基本認識の下、AI活用と人材育成・確保・流動化を一体で進める方針。「心身の健康維持と従業者の選択を前提に、柔軟で多様な働き方を実現するため、労働時間法制等に係る政策対応について、夏以降の労働政策審議会において議論を行う」という明記。裁量労働制の対象の在り方の見直し検討。連続勤務日数の上限や勤務間インターバルの確保。副業・兼業の環境整備。アドバンスト・エッセンシャルワーカーの育成。テレワークの推進。

日本成長戦略では、17の戦略分野と8つの分野横断的課題が設定され、その横断的課題の一つとして「労働市場改革」が位置づけられています。労働市場改革分科会のとりまとめ(2026年6月公表)では、人的資本投資の促進、社会インフラ関連職の確保と生産性向上、円滑な労働移動の促進、柔軟で多様な働き方の実現に向けた労働時間法制等、さらなる労働参加の促進、企業の人材マネジメントへの支援が柱として示されています。
個別の施策よりも重要なのは、今回の政策文書の構造そのものです。筆者がこの文書を読んで最も注目しているのは、個別の施策ではありません。
なぜ今回の政策文書は質的に異なるのか ── 筆者の読み
筆者の読みとして申し上げると、今回の骨太方針と日本成長戦略は、公的文書として初めて、人的資本経営の考え方と労働基準法(以下「労基法」)改正の方向性を完全に一体のものとして記述しています。従来、人的資本経営は経産省の「人材版伊藤レポート」を起点とする経営・開示の文脈で語られ、労基法改正は厚労省の労働基準関係法制研究会を起点とする規制の文脈で語られてきました。この二つは、それぞれの審議会や研究会の中では接続されていましたが、閣議決定文書の中で一体的に「自律的で多様な働き方」として統合されたのは、筆者の知る限り今回が初めてです。
その根拠は、文書の構成そのものにあります。骨太方針では「AIを前提とした社会の再構築」と「柔軟で多様な働き方の実現に向けた労働時間法制等」と「人的資本投資の促進」が同一の章に、同一の方向性として記述されています。日本成長戦略の労働市場改革分科会とりまとめでも、「経営戦略と人材戦略の連携強化」が冒頭に置かれ、リスキリング・労働時間法制・労働移動・多様な人材活用が一つの枠組みの中で扱われています。
なぜこのような一体的な記述が今回初めて実現したのか。それは、そのくらい劇的な転換が前提として共有されているからだと考えます。2040年に1,100万人の労働力が減少する中で、AIとの協働で社会を維持し、一人ひとりが自律的に価値を生み出す働き方へ移行する。この転換は、経営戦略と労務管理を別々に考えていては実現できない。だからこそ、人的資本経営と労基法改正が同一の文脈に統合された。本連載で第1回から繰り返しお伝えしてきた「働き方の世界観をつくる」という考え方が、ようやく政策文書の中で形になったと読んでいます。

この文脈で言えば、「自律性」は政策全体を貫く一貫した考え方です。裁量労働制の拡充もフレックスタイムの拡充も、副業兼業の推進もテレワークも、フリーランス新法もAI協働も、ハラスメント対策も、すべてが「一人ひとりが自律的に判断し、価値を生み出せる環境をどうつくるか」という問いに収斂(しゅうれん)しています。多様なプロフェッショナル人材が自律的に活躍できる環境をつくること。これは、みらいワークス総研が掲げてきた問題意識と重なるものでもあります。
個別の施策だけを追いかけていると、この全体像が見えにくくなります。政策の全体像を捉えるには、もう一段上の視点が必要です。
「社会・戦略・施策」の三層で捉える
雇用政策の全体像を整理するために、「社会」「戦略」「施策」という三つの層で捉える枠組みを提示します。
第一層の「社会」は、政策の前提となる社会構造の変化です。2040年に生産年齢人口が約1,100万人減少するという人口動態、AI・ロボティクスの急速な進展、産業構造の変化。これらは、政策が変わろうが変わるまいが進行する変化です。企業にとっては、自社を取り巻く社会がどう変わるのかを把握する層です。
第二層の「戦略」は、その社会変化に対して政府が掲げた方向性です。骨太方針の「AIを前提として社会を再構築する」、日本成長戦略の「労働供給力の強化と経済成長の両立」がこれにあたります。企業にとっては、自社の経営戦略・人材戦略の方向性を定める層です。政策の方向性と自社の戦略の方向性が合っているかを確認する作業がここにあります。
第三層の「施策」は、方向性を実現するための具体的な制度設計です。裁量労働制の見直し、インターバル義務化、副業兼業の環境整備、フリーランス新法、ハラスメント法改正。本連載で第3回から第6回まで取り上げてきた個別の論点は、すべてこの層に属します。

この三層の中心に置くべきものがあります。それは「視野・世界観」です。
施策の層だけを見ていると、「インターバルが義務化される、うちはどう対応するか」「裁量労働制が拡大される、うちの対象者は誰か」という個別対応に終始します。これは法改正のたびに起きる典型的なパターンですが、対症療法の繰り返しになります。
社会の層と戦略の層をまず把握し、自社の「世界観」──自社はどのような働き方の環境をつくりたいのか──を定めた上で施策を見ると、個別の制度変更は目的ではなく道具として位置づけられます。「この施策は自社の方向性と合っているから積極的に活用する」「この施策は自社には直接影響しないが、方向性を確認する材料になる」という判断ができるようになります。本連載で繰り返しお伝えしてきた「法改正への対応は結果であって目的ではない」というのは、この構造のことです。
三層それぞれの中身を確認する
三つの層を、もう少し具体的に見ていきます。

社会の層で企業が把握すべきは、まず自社の業種・職種における人材需給の見通しです。経産省の2040年就業構造推計(2040年の働き手や職種の需給予測データ)では、AIにより社会全体の労働力不足は回避されるが、職種間のミスマッチ(事務職の供給過剰とAI人材・現業職の不足)が発生するとされています。自社の主要職種がこの構造変化のどこに位置するかを確認することが出発点です。加えて、AI協働が自社の業務構造をどう変えるか。お客さまの期待やコミュニケーションの方法がどう変わっているか。こうした社会の変化を自社の目線で把握します。
戦略の層で企業が定めるべきは、自社の経営戦略と人材戦略の方向性です。骨太方針が「AIを前提とした社会の再構築」を宣言した今、自社はAIとの協働をどう位置づけるのか。多様な人材(副業人材、フリーランス、高齢者、育児中の方)をどう活用するのか。自律的な働き方をどこまで進めるのか。これらの方向性を、経営層と現場管理者が共有できる言葉で定めることが戦略の層の仕事です。
施策の層では、戦略の方向性に照らして、どの施策を優先的に活用するかを判断します。自律的な働き方を進める方向であれば、裁量労働制やフレックスタイムの拡充、インターバルの確保、テレワーク推進がそのまま道具になります。多様な人材活用の方向であれば、副業兼業の環境整備やフリーランス新法への対応が道具になります。前回取り上げたハラスメント対策も、自律労働の環境整備として位置づけることで、対応の方向性が明確になります。
実務として何から始めるか
三層の枠組みを理解した上で、実務として企業が今着手すべきことを整理します。

第一に、政策文書の社内共有です。骨太方針と日本成長戦略の雇用関連部分は、それぞれ数ページの分量です。人事部門だけでなく、経営企画、事業部門の管理職にも共有し、「政策がどの方向を向いているか」の認識をそろえることが出発点です。法案が出てから慌てるのではなく、方向性が確定した今の段階で認識をそろえておくことに意味があります。
第二に、自社の働き方の現状把握です。労働時間の実態、副業・テレワークの活用状況、AI導入の進捗(しんちょく)、外部人材の活用状況。これらを部署・職種ごとに可視化します。社会の層(外部環境)と自社の現状を照らし合わせることで、「自社はどこにいるのか」が見えます。
第三に、自社の世界観の言語化です。「当社はこういう働き方の環境をつくりたい」という方向性を、少なくとも経営層と人事部門の間で言語化しておきます。完璧な文書にする必要はありません。方向性が定まっていれば、施策の層の判断(どの制度変更に優先的に対応するか)が格段に速くなります。
この三つは、法案が提出される前の今だからこそ着手する意味があります。方向性は確定しています。制度の最終形が固まる前に自社の世界観を定めておけば、法案が出た段階で「自社の方向性と照合するだけ」で済む状態になります。
おわりに
骨太方針2026と日本成長戦略の閣議決定により、雇用政策の方向性は確定しました。自律的で多様な働き方、AI協働、人材の流動化と育成。これらの方向性に対して、施策だけを追いかけるのではなく、社会・戦略・施策の三層で捉え、自社の世界観を中心に据えること。そうすれば、法令や施策は自社の働き方をより良くするための道具として使えるようになります。
なお、9月29日(火)11:00より、みらいワークス総合研究所でオンラインセミナー『雇用政策が決定!「自律的で多様な働き方」とAI協働はどうなるか ~労基法改正とAI・自律労働・副業兼業の方向性と先行事例』を開催します。本稿で示した三層の枠組みをさらに掘り下げ、先行企業の事例や調査データも交えてお伝えする予定です。詳細は記事末のリンクよりご確認ください。
*1 労働者・使用者・学識者の三者で構成され、労働法改正や雇用政策の具体的な制度設計(法案の骨子)を議論する厚生労働省の諮問(しもん)機関。
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