Professional Answers!シリーズ第1弾 – 大企業における新規事業開発編 –
“板挟みイノベーター” 〜 新規事業を成功に導く管理職のための羅針盤
2025年5月のテーマは「説得力ある事業計画について考える」です。
新規事業を成功に導く管理職“板挟みイノベーター”からの質問に対して、4名の新規事業のプロフェッショナルに解決策を教えていただきました。
#1 説得力ある事業計画について考える ー石森 宏茂プロ編 本記事
#2 説得力ある事業計画について考える ー岩本 晴彦プロ編
#3 説得力ある事業計画について考える ー原口 悠哉プロ編(5月20日に配信予定)
#4 説得力ある事業計画について考える ー村松 龍仁プロ編(5月27日に配信予定)
今月の”板挟みイノベーター”からの質問
PMFはまだ完全には達成できていませんが、MVP検証の進展が認められ、来年度の事業計画の提出を求められています。ここで悩ましいのが、経営陣の大きな期待と現場の実態、そして不確実な市場の可能性を踏まえて、どの程度の粒度で事業計画として提出するのかです。リスクを最小限に抑えつつ、会社の方針に沿った計画を立てる必要があります。
経営陣は、事業化しているわけでもないにも関わらず、高い成長率を期待していますが、現場では日々の課題に追われ、そこまでの自信が持てていません。かといって、控えめな計画では評価を下げかねず、難しいところです。市場の可能性は感じているものの、それを数字で裏付けるのが難しく、悩んでいます。過去の新規事業の事例を参考にしたいのですが、あまり前例がなく…。
また、できれば他部門の知見も活用したいところです。例えば、マーケティングや営業部門のインサイトがあれば、市場予測の説得力が増すかもしれません。ただ、彼らも既存事業で手一杯のようで、積極的に協力を求めるのは難しそうです。部門間の壁を崩すのはリスクも高そうで…。とはいえ、他部門の協力がなくても、何とか自分たちで計画を立てなければいけないのが現状です。
このような状況で、どうすれば経営陣を納得させつつ、現場のやる気を失わせず、かつ自分の立場も守れるような、現実的かつ無難な事業計画が作れるでしょうか?また、限られた権限の中で、可能であれば他部門の知見を借りつつ、組織の秩序を乱さないコツはありますか?慎重に進めたいのですが、あまり消極的に見られるのも避けたいところです。
第1回目は、石森 宏茂プロの回答です。
はじめに――戦略なき計画は羅針盤を失った航海
親子関係としての戦略と計画
新規事業開発の現場では、「まずは戦略を明確にしよう」という言葉が多く飛び交います。しかし、実際には売上目標やKPIなどの数値を先に積み上げ、それらを後から正当化しようと“後付けの戦略”を掲げるケースが珍しくありません。その結果、「なぜ、この数値を達成しなければならないのか」「どんな目的にどれだけリソースを注ぐべきか」が不透明になり、計画書が単なる数字の羅列になりがちです。
本来、戦略と計画は上下関係というよりも“親子”に近いものです。親である戦略は「誰が、何を目的に、何を目指し、その目標を阻む課題をどのように解決し、リソースをどう配分するか」を描き、子どもである計画が「いつまでに、どの順番で、どれくらいの人員や予算を投下して実行していくか」を具体化する仕組みです。親の方針が曖昧なままだと、子である計画はどんどん筋肉質に膨れ上がってしまい、結果として実現可能性や整合性が取れなくなります。
三方からの圧力が浮き彫りにするもの
新規事業の担当者は、経営陣の大きな期待、日々の課題に追われる現場の実情、そしてまだ見ぬ市場の不確実性という三つの圧力に板挟みになりがちです。これは一見ネガティブに感じられますが、実のところ戦略のほころびを見つける絶好のチャンスでもあります。楽観的な数字を求める経営陣の要望と、現場が抱える「PMFはまだ十分ではない」「リソースが足りない」という悲鳴は、戦略に埋め込むべき解決策のヒントを与えてくれるからです。
ここをうまく生かすと、たとえ市場が未知の段階でも「なぜ今この事業をやるのか」「どこまでリスクを取れるのか」が明確になります。結果的に、絵に描いた餅にならない事業計画を仕上げるための土台ができるのです。
事業戦略を“絵解き”する五つの問い
誰が意思決定するのか
戦略の骨格を明確にするための第一歩は、意思決定の主体をはっきりさせることです。新規事業専任の部署がハンドルを握るのか、既存事業部内にプロジェクトチームを組成するのか、あるいはCDOの直轄なのか。その形態によって稟議の流れや予算取り、リソース配分の優先度は大きく変わります。
何を目的に動き出すのか
MVP(Minimum Viable Product)の段階で見えてきた学びを踏まえ、「なぜ現状を変えなければならないのか」を組織全体に共有する必要があります。たとえば既存顧客の継続収益(リカーリング売上)が伸び悩んでいるなら、それを打破するために新規事業でどんな価値を提供するのかを明確に言語化します。目的が曖昧なままでは、いくら数字を積み上げても説得力を持ちにくいでしょう。
何を目指すのか
次に、3〜5年後などの中期的な視点で定量ゴールを定めます。売上高や市場シェアといったトップラインはわかりやすい反面、景気など外部要因の影響を大きく受けがちです。そのため、LTV(顧客生涯価値)やCAC(顧客獲得コスト)、リカーリング売上比率といったユニット指標も合わせて設定すると、事業がどれくらい健全に回っているかを測りやすくなります。
どの課題が障壁になるのか
ゴールを阻む摩擦や課題を、できるだけ具体的に掘り下げることが重要です。プロダクトの仕様、顧客の導入ハードル、社内調整の難しさなど、MVP検証で得られた課題感を明確にしないまま数値目標だけを先に立てても、実行段階でつまずくリスクが高まります。たとえば「翻訳リソースが不足していて海外展開が止まる」「導入決裁フローが複雑で契約まで時間がかかる」など、現実に起こりうる問題を洗い出しましょう。
いつまでに、何を、どう解決するのか
戦略を本当の意味で生きたものにするには、やるべき施策を時期や担当リソースごとに落とし込む必要があります。「やる施策」はもちろんですが、「やらない施策」を明確にしておくと、投入リソースの優先度がはっきりします。たとえば既存顧客へのアップセルには注力するが、大規模広告はまだ行わない、などの“線引き”をするだけでも、事業計画に筋が通りやすくなるのです。
三層シナリオ――戦略を数字へ翻訳する
ベース・ストレッチ・ダウンサイドの三つの未来図
経営陣から期待される高い成長率と、現場から見える不確実性のギャップを上手にマネジメントする方法の一つが、ベース、ストレッチ、ダウンサイドの三層シナリオを作ることです。ベースシナリオは「まずはこれくらいなら実現度が高い」という着実な路線、ストレッチシナリオは「リソースや市場の条件がうまくかみ合った場合の上振れ期待値」、ダウンサイドシナリオは「予想よりもうまくいかなかった場合でも、最低限こう動けば致命傷を避けられる」という保険的な計画です。
ストレッチシナリオで楽観的な数字を掲げる場合は、MVP検証で得た実績やユーザーデータを引用して「なぜそこまで伸ばせるのか」を丁寧に示すことが欠かせません。単なる期待論に終わらないよう、実証データや段階的なロジックで裏付けを固めるのがポイントです。一方で、ダウンサイドが想定よりも悪化した場合の対策(追加投資を控える、別のセグメント開拓を優先するなど)を盛り込むことで、事業計画全体の信頼性が向上します。
検証データを基盤にロジックを積み上げる
ストレッチを描くときによくある失敗が、「市場ポテンシャルが大きいからいける」という漠然とした説明で終わってしまうことです。たとえば既にテスト導入している顧客の紹介率が19%なら、UX改善とインセンティブ強化でプラス6ポイントを狙い、最終的に25%を達成する、というように具体的な数字の根拠を段階的に示すのが望ましい姿です。こうした実証済みのデータをロジックの基盤にすることで、少なくとも“机上の空論”だと一蹴されずに済みます。
ゲート条件を設けて慎重さと挑戦を両立する
計画にゲート条件を設定するのも有効な手段です。たとえば「リカーリング売上比率が○%を超えたら追加投資の予算を増やす」「CAC(顧客獲得コスト)があるラインを下回ったら広告予算を拡張する」といった具合に、重要な指標に基づいて投資判断を切り替えるルールをあらかじめ決めておくのです。こうすることで、上振れが期待できるなら攻めやすく、下振れが続くなら迷わず守りに入るというメリハリある意思決定が可能になります。
ユニットエコノミクス――戦略の実効性を“一人の顧客”で測る
LTVとCACの重要性
ユニットエコノミクスとは、一人の顧客に着目して収益性を測る手法です。新規事業の採算性を考える上で極めて有用ですが、特に覚えておきたいのがLTV(Life Time Value:顧客生涯価値)とCAC(Customer Acquisition Cost:顧客獲得コスト)です。
LTVは「顧客が契約や購入を開始してから離脱するまでに、どれだけの売り上げや利益をもたらしてくれるか」を合計したものになります。一方、CACは「その顧客を獲得するためにかかったマーケティング費用や人件費、営業工数のコスト」を算出したものです。
たとえば、LTVが12,000円でCACが3,000円の顧客グループと、LTVが6,000円でCACが4,500円の顧客グループがあるとすれば、前者を狙うほうがはるかにリターンが大きいと言えます。こうした比較が計画に含まれていれば、どこにリソースを優先配分すべきかが明確になり、経営陣も投資判断をしやすくなるのです。
施策定義を“一文”で整理する
新規事業の計画には、具体的な施策が数多く盛り込まれます。たとえばECビジネスを想定しているなら、平均カート数(1回の購入で顧客が買う商品の数)を増やすためにバンドル割り(まとめ買い割引)を導入し、その担当はECチームが担い、期日は9月1日までに完了させる、というように要素をひとまとめに示すと、何を誰がいつまでにやるかが一目でわかります。
さらに、この施策がLTVをどの程度底上げし、CACにどう影響するかを簡易的にでも試算しておけば、戦略的な優先度が浮き彫りになります。経営陣から「なぜバンドル割りが先なのか」と問われても、「この施策は顧客当たりの購買単価を上げ、LTVを向上させるため」という明確な理由が示せるようになるわけです。
利益谷を見越す重要性
新規事業では、初期投資やサポート強化のコストが先行し、しばらく利益が出にくい“利益谷”に直面するのが常です。LTVの計算にあらかじめサポートコストや追加インフラ費用を上乗せしておくと、どれくらいの時期にキャッシュフローが厳しくなるかを早期に把握でき、追加で資金を調達するか、あるいは一時的にコストを削減するかといった判断を前倒しで検討できます。こうした準備ができている計画は、経営陣からも「リスク管理がしっかりしている」と評価されやすいでしょう。
未知リスクを数字で飼いならす
最低限の指標に絞り込む
新規事業は、既存事業ほど成熟したデータや管理体制がないため、リスク管理をどこまで徹底すべきか迷うかもしれません。そこで、「行動→収益→離脱」の流れをカバーできる指標を少数に絞る方法が効果的です。たとえばBtoCなら週次アクティブ率(毎週どれだけ顧客が実際に利用しているか)、BtoBなら商談リードタイム(問い合わせから契約までの期間)など、自社モデルに合った重要指標を絞り込み、これだけは必ずウォッチする仕組みを作ります。離脱に直結しやすい兆候としては、解約直前に顧客からの問い合わせが増えるケースもあるため、サポート窓口への問い合わせ件数も合わせて観測しておくと安心です。
48時間ルールで即時対応を実現する
重要指標が閾値(いきち)を超えた場合、24時間以内に原因仮説を洗い出し、続く24時間で具体策と実装スケジュールを決めるという“48時間ルール”を運用すると、速度感のあるPDCAサイクルが回ります。こうした対応スピードを計画書にも明示しておくと、経営陣が求めるハイペースな修正にも応じやすく、現場も「何があっても迅速に対処する」という共通認識を持ちやすくなります。
他部門を味方に変える90分コラボ戦術
90分が断りづらさと集中を両立する
新規事業であっても、マーケティング部門や営業部門のデータや知見は大きな助けになります。しかし彼らは既存事業で日々忙しく、頼み方次第では「余裕がないから協力できない」と断られてしまうことも多いでしょう。そこでおすすめしたいのが、“90分で完結するコラボ企画”を立ち上げるやり方です。
90分という時間は、程よく集中力を保てる一方で負担が大きすぎず、相手のスケジュールにも組み込みやすいという利点があります。午前と午後の定例会議の合間などに設定すれば、「1日がかりで拘束される」という印象を持たれずに済むため、断られにくくなります。
シンプルな依頼と迅速な還元で協力の輪を広げる
協力を仰ぐときは、目的、期限、成果物の三点を短い文章で明確に伝えるのがポイントです。そして、得られた情報を24時間以内に事業計画や関連資料に反映し、担当者をクレジットして全体に共有すると、「自分が貢献したことがしっかり形になって認められた」という実感が相手に伝わります。これを続けることで、他部門とのコラボレーションがスムーズになり、雪だるま式に助け手が増えていくのです。
柔軟さと一貫性を両立する運用インフラ
再計画のタイミングを固定する
新規事業は環境変化が激しいとはいえ、あまりに頻繁に計画や目標をいじっていると現場の疲弊と混乱を招きます。そのため、たとえば四半期の第2金曜日を“再計画日”と定め、そこに向けて実績と指標を整理し、必要な変更をまとめて行う方式を取ると、メリハリのある運用が可能です。これによって「また数字が変わった」「また施策が動いた」というフラストレーションを最小限に抑えられます。
数式撤退基準で失敗を恐れず挑戦する
「LTV ÷ CAC が1.5を下回る状態が2四半期続いたら事業規模を縮小する」といった“数式撤退基準”を決めておくと、失敗に対する心理的ハードルが下がり、経営陣もリスクを取りやすくなります。これは成果が出なかった場合でも「ルールとして決まっていた」という形で軟着陸ができるからです。事前に明文化しておけば、担当者が板挟み状態に陥っても感情的に責められにくくなり、チャレンジしやすい組織文化が作られます。
ダッシュボードで数字と現場の声を同居させる
リアルタイム指標と顧客や現場の定性情報を一画面に収めたダッシュボードを活用すると、数字の好調・不調だけでなく、現場の疲弊度や顧客の期待感といった温度感も同時に把握しやすくなります。数字だけが良くても現場が疲れ切っている、あるいは数字は伸び悩んでいても顧客満足度は高まっている、といった微妙な状況は、定性情報を併せて見なければ気づきにくいものです。早い段階で温度差を発見できれば、次の四半期再計画や48時間ルールでの修正アクションにつなげられます。
まとめ――戦略を土台に温度差を推進力へ
“動く羅針盤”としての事業計画
戦略とは、「誰が、何を目的に、何を目指し、その目標を妨げる課題をどのように解決し、リソースをどこに配分するか」を総合的に示すものです。そして、その戦略をもとに「やること」「やらないこと」を明確化して三層シナリオに落とし込み、ユニットエコノミクスで事業の持続可能性を測り、未知リスクを数値で飼いならす仕組みを用意しておけば、計画は単なる“数字の羅列”から“動く羅針盤”へと変わります。
さらに、定期的な再計画日や数式撤退基準による運用ルール、90分コラボ戦術などで他部門を巻き込み、柔軟さと一貫性を同時に担保し続ければ、板挟みの温度差はむしろ組織を強くする推進力になります。経営陣を納得させながら現場のやる気もそがない計画を実現するには、こうした仕組み作りが欠かせません。
PMFがまだ完全ではなく、市場が不確実な段階だからこそ、親である戦略と子である計画の関係を明確にし、運用インフラを整備することが一層重要になります。経営陣が求める高い期待値と、現場が直面する苦労、そして未知の市場という三方からの圧力をうまく生かせば、早期に抜け漏れを補強し、実行性と納得感のある事業計画を作り上げることができるはずです。
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